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1章-7 ぶつかる
帰宅すると、蒼は今日の復習をするから…と、早々に部屋に引き籠った。
南川が「強引」「急過ぎる」と言ったり、小田がテレビで見た「会社を買収してリストラ…」というのは、緑川グループの会社のことだったのだろう。
リビングにテレビが無いし、ネットのニュースもそんなにチェックをしていなかった。
蒼は制服を脱いで着替えると、恐る恐るスマホで検索する。
『緑川グループ』で検索をすると、突然系列の会社をたたんで、1番大きく唯一順調だった不動産業1社になったことが、トップに出てくる。
祖父の兄弟が経営する会社は廃業し、それ以外は残った会社と合わせたり、東郷グループに吸収されている。
リストラされた社員も、半端な人数ではない。その人たちの今後の生活はどうなるんだ!と叩かれているが、雅の話によると全員これからの務め先は決まっているという…。
『東郷一馬』で検索をすれば、さらにひどい言われようだった。
だが、いくら調べても、蒼のことも、高校生のΩを引き取ったことすらも、どこにも載っていない。
まるで、一馬があえて冷徹で無慈悲な大財閥のトップであることを印象付けるような話ばかり…。
ドアがノックされ、「食事にしよう」と声を掛けられた頃には、帰宅してからかなりの時間が経っていたことに気付く。
――どんな顔をして食事をすればいいんだ?
浮かない顔のまま、ダイニングテーブルの椅子に座る。
――あぁ…貴良さんが居ないんだから、僕も手伝えばよかった…。
並べられた夕食や食器を眺めて、ふと思う。
いろいろ考え過ぎて、気が利かない自分にも嫌になる。
「どうした?元気がないな。疲れたか?」
ネットのニュースにも書き込みにも、優しさは微塵も感じさせない内容ばかりなのに、実際はこんなにも優しく蒼を気遣う。
「少し…」
と言いながら、箸を動かす。
「B組のαは、五島日向だけなのか?」
「…はい。ひーちゃんがαで、ノアがΩ。後は全員、担任の先生もβです」
「…まぁ、たまに敏感なβもいるが…心配なさそうなクラスでいいな」
相変わらず一馬はどんぶりのような茶碗でご飯を食べる。
「勉強は物足りなくないか?」
「難しいこともやりますが…基本を飛ばさないので、結果的にはαコースよりも学力が付くのではないかと思うときがあります。物足りなかったら、もっと難しい問題も用意してくれるし…」
「…そうか」
目の前のおかずが、どんどん一馬の口の中に消えて行く様が、見ていて気持ちいいくらいだ。
「…一馬さんは、僕のこととか…僕の周りのこととか…どれくらい知っているんですか?」
その箸がスッと止まる。聞いちゃいけないことを聞いたのだろうか…?
「しっかり食べろ」と煮物の鉢をぐっと寄せられてしまう。
友人の名前だけじゃない。父の会社のこと、母のこと、本当の親のこと…。自分の知らなかったことまで調べ上げている目の前の人物が…
――……‥怖い。
食べ終わって、2人でテーブルの上を片付け、蒼が先にバスルームに入る。
蒼はバスルームの鏡に映る、貧相な自分の体を見て、産んでくれたくれたΩはどんな人だったのだろうか…?と考える。母は、どんどん似てくると言っていた。
――一馬さんなら何か知っているのかもしれない。
けれども、聞きたくはなかった。
知らないところで自分の事を調べ上げ、知らないうちにいろいろ変えられて、利用しろと言いながら結局、囲っているだけなのでは?
冷徹・無慈悲で不要になったものを切り捨てられるのなら、自分も期待に応えられなかったり、子どもを生むことができなかったら、捨てられるのだろうか?
発情期を終えて、頭の中がいつもの状態に戻ると、急に不安が渦巻いてくる。
――そもそも…捨てられたって、もう僕には戻る所がないじゃないか!
不安は、一馬がバスルームから出て、くつろいでいる時に爆発した。
「なぜ、父の会社をあんなにもリストラして小さくしてしまったんですか?」
ソファの上で膝を抱え、一馬に話しかける。
蒼の目は発情期中と違って鋭く一馬を見る。自分を狙う標的から逃げられない。逃げられないならせめて反撃してやろうと捨て身になっている小動物のような眼差し。
「あのままだと赤字が膨らむばかりで、順調な会社の経営にも影響を及ぼしかねなかったからな。そもそも、あの使えないじいさんたちに会社を食い物にされていたんじゃぁ、君のお父さんだって仕事がしづらかったんじゃないのか?」
なぜ、そんな怖い顔をして言う?賢い君なら、懸命な判断だと思うだろう?と、一馬は言いそうになる。
「一馬さんが、そこまでするのはなぜですか?雅の話だと、社員の再就職先を用意したのも一馬さんだって…」
「…会社がなくなったら、君の家族が困るだろう?」
何を当たり前なことを聞くんだ?と不思議そうな顔をする。
「でも、母さんの秘密を調べ上げて、僕の家族を壊したじゃないか!」
蒼は堪えられなくなって、声を荒げる。
そうだ。僕の出生の秘密なんて調べなければ、母が寝込んだり、兄が引き籠りになることはなかった。父だって墓場まで持っていく約束をしていた秘密だったのに。
「蒼がαであれば秘密にできたかもしれない。だが、君はΩだ。あれだけのα家系で、君がΩと診断されれば遅かれ早かれバレることだったんじゃないのか?その時に、うるさいジジイ共がでかい顔して居座っていたんじゃぁ、君だってお母さんだって、ただじゃ済まなかったと思うぞ」
声を荒げた蒼とは反対に、一馬の声はひどく落ち着いていた。
「それに君の家族は、壊れてなんかいないだろう?」
そうだ、一馬の両親は離婚し、家と一馬を捨て運命の相手と暮らしている。一馬に比べたら、蒼が欠けただけの緑川家は何も壊れてはいない。むしろ、蒼が居ない方が自然なくらいだ…。
「僕は…一馬さんの期待に応えられなかったら…、子どもを生めなかったら…捨てられて、行くところもなくなるんですね…」
肩を震わせても、涙は必死に堪えた。ただ、真っ直ぐに一馬の目を見る。
一馬も、蒼が次は何を言い出すのかと、黙ってその視線を受け止める。
「周りがうるさいんなら、さっさとαの女性と結婚すればいいじゃないですか。なんで僕なんですか?そんなに運命の番が欲しいなら、ペットにでもなんにでもすればいいじゃないですか?なぜ、僕に選ばせるんですか?そんなに、権力もお金もあるなら、僕を好きなようにすればいいじゃないですか!僕に期待なんてしないで!!」
1カ所決壊した堤防が次々と崩れ始めるように、募りに募った不安があふれだす。
「Ωの僕なんか…僕なんか…迷惑なだけで、何の役にも立たないのに、どうして僕なんかを…」
肉食獣に捕らえられた小動物が、最後の抵抗をしているかのようだ。
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