1章-8 溺愛

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1章-8 溺愛

 いつもより遅い時間に目を覚ますと、「朝食は外で食べるぞ」と言って、着替えさせられた。  マンションを出て、公園を横切り、歩道を歩く。  髪を下し、青い半袖のサマーセーターとジーンズ姿の一馬は、普段見るスーツ姿の一馬と別人に見える。今日の姿はどこからどう見ても26歳の青年だった。  ただ…並々ならぬα感は出まくっているが…。 ――普段着で、抑制剤も飲んでいて、このαの威圧感駄々洩れなのは…どうなのよ?  と、後ろを付いて歩いていて、考える。  真夏の蒸し暑さと、お尻やお腹に感じる違和感と、脚の長さの違いで、一馬の後を付いて行くのが大変だった。  途中、一馬の足が止まる。  振り向くと蒼が必死で付いてきていることに気が付き、立ち止まった。  水色のポロシャツにベージュのパンツ姿の可愛らしい少年は、汗だくになりながら一馬を追いかける。  一馬はそっと手を伸ばし、蒼の手を取るとゆっくりと歩き始めた。  自分のペースで歩くと、蒼が付いて来られないことに気付き、歩調を合わせる。  蒼は大きな手に握られた自分の手がくすぐったくて、行き交う人々の視線が照れくさくて、一馬を見上げた。  オールバックに固めていないサラサラの黒髪が風に揺れて、そこだけ蒸し暑さを忘れた清涼感を感じる。 ――みんな、一馬さんに注目している…。そうだよな…恰好いいもんな…。  だけど、テレビやネットで話題の『東郷の冷徹王』だとは気づいていない。端正な顔立ちと適度に筋肉の乗った長身のスタイルから、モデルか俳優か?という感じだ。  一馬の顔から腕を伝ってつなぐ手に視線を下す途中で、肘のすぐ下に付いてる咬み痕に目を止める。蒼のフェロモンに当てられて襲いたい気持ちを堪えるのに、自分で咬んだ…、と貴良から聞いてはいたが、こんなに明るい場所で間近でじっくり見る事がなかった。 ――この痕が僕の項に付いたら…僕は、一馬さんの番になるんだ…。  そう思うと、ドキドキ…というかムズムズしてくる。 「今日も暑いな」  横断歩道の赤信号で立ち止まり、一馬が蒼に声を掛ける。  その声に我に返る。  咬み痕を見てドキドキして顔が赤くなっていたのに、気温の暑さで赤くなっていると思っているらしい。 「すぐそこだから」  と、青信号に変わったのを見て道路を渡る。  アスファルトに引かれた白線の色が、太陽の光を受けて目が眩むほどにまぶしかった。  ただ一馬に手を引かれ、自分がどこを歩いているのかわからなくなってくる。  連れて行かれたのは、朝早くから開いているカフェだった。  休日の朝食をのんびり取ろうとしている女性たちで混雑している。  その店内の雰囲気に不釣り合いな男同士のカップルは、女性たちの視線を一気に集めた。  蒼はたまらず、一馬の背後に隠れる。 「いらっしゃいませ。2名様ですか?」  と、声を掛けてきたウエイトレスが、「あら、お久しぶりですね。お連れ様がいるなんて珍しい」と言って、1番奥の目立たない席に案内してくれた。  席に着くと一馬はメニュー表も見ないで注文をしていく。  そして、注文を聞いたウエイトレスは「オーナー呼んできますね」と言って、にこやかに去っていく。この休日モードの超絶イケメンの正体を知っているようだった。  先程から周りの視線が気になってしょうがないのだが、一馬は一向に気にする気配がない。 「ここ…よく来るんですか?」 「ああ、休日に何も用事がないとここで朝食を摂る。最近忙しくて来られなかったが」  と言いながら、タブレットを出して、何やら仕事らしきものをチェックし始める。 「たまには蒼も、学校以外の外の空気を吸いたいだろう?」  目線をタブレットに落したまま言う。  それはそうだけれども…こんなに女性たちの注目を集めるのは落ち着かない…と、蒼は水を一口飲んだ。 「いや~ん、久しぶりにα様拝めた~!これでしばらく生きていける…」 「今日来て、ラッキー!」 「最近、居なかったよね~」  と、女性たちのヒソヒソ声が聞こえる。  どうやら、休日、朝食を食べに来る一馬目当ての女性たちが多いらしい…。  ネットで検索すれば、数々の批判にさらされている一馬でも、普段の姿はやっぱり人気なのだろう…。 「ねぇ、一緒にいるあの男の子、可愛い…」 「首輪しているってことはΩ?いいなぁ…」 「いや~ん、私も可愛いΩに生まれてくれば、大事にされたかなぁ~?」  一馬のことだけでなく、自分のことについても話をしている女性たちの言葉に蒼は耳を疑った。 ――可愛い?!いいな?!大事にされている?!…そんな風に見えるの???  蒼は珍竹林で貧相に見える自分が、一馬と並べて見られることが嫌だった。  Ωであることで蔑まれるのが怖かった。  なのに、聞こえてくる話は全然違うことに照れくさくなった。  まぁ…「可愛い」は高校生男子に使う形容詞じゃないよなぁ…と思いつつも。  モジモジと照れている蒼の顔を、一馬はチラッと盗み見て笑いを堪える。  蒼の側にいる男のΩと言えば、貴良と乃亜だ。あんな超絶美男子と比較したら誰でも劣等感を持つ。  その貴良と乃亜と同じ性別なのだからと、ついつい自分と比較して容姿に劣等感を持ち、一馬の横にいることに自信を持てないでいるのは、わかっていた。  だが蒼もΩの中ではなかなかの美形。自信を持てばいいのにと一馬は思っている。  背筋を伸ばし、自信に満ちた顔をすれば、何とも聡明な少年に見えるのが蒼の魅力だった。  Ωは総じて色っぽい妖艶な雰囲気を身にまとった人が多い。蒼にはそれが足りないだけで、この聡明さはなかなか持てるものではない。 「お待たせしました~」  と、蒼の目の前に置かれたのは、生クリームとイチゴが添えられたパンケーキだった。メイプルシロップ、サラダ、ベーコンとオムレツ…。そして、ミルクティー。  一馬の前には、粒あんを添えた厚切りのバタートーストとサラダ、ベーコンとオムレツ。そして、コーヒー。  蒼には多そうだが、一馬には足りるのだろうか…? 「一馬さんが、とうとうこんな可愛い子を連れて来るなんてねぇ~」  先程のウエイトレスとは違う女性が、料理を運んで来て、一馬に言う。 「ははっ。“可愛い”は男子高校生に使う形容詞ではありませんよ」  と、笑って受け応える。  40代半ばと思えるその女性は「そうね~。失礼しました」と言って笑っている。  一馬と仲がよさそうなその女性は、βなのだろうか?Ωなのだろうか…?小柄で気さくで、オーナーの割には威圧感もない可愛らしい人だった。 「とうとう見付けた、と言っておいてください」  一馬がコーヒーを一口飲んで、オーナーに言う。 「かしこまりました」 「元気にしてる?」  一馬は誰の事を気に掛けているのだろうか? 「してますよ~。元気過ぎて人使いが荒いって、私の後任の秘書がこぼしていました。最近の一馬さん、あんまり無茶するから心配していましたよ。ここへ来たときに少し(たしな)めておいてって」  一馬は「はいはい」と言いながら、サラダを口にした。 「彼女は3年前まで、私の母の秘書をしていたんだ」  と、蒼に説明をする。  蒼は驚いて、オーナーをじっくり見てしまった。 「ここへ来れば、彼女を通して母と連絡が取れるというわけだ」  「直接やり取りすればいいのにね」と、蒼に同意を求めるが、蒼は何と返していいのかわからない。色々と大人の事情と言うものがあるのであろう…。 「今は首輪もおしゃれになっていいわよね~。私の若い頃なんて、犬の首輪みたいなゴツイものしかなかったわよ~。あれ、夏は蒸れて痒いの」  と、蒼の首を飾るシャンパンゴールドの首輪を見て言う。 「いつの時代の話!」  一馬が笑う。蒼がキョトンとしているので、 「彼女もΩだ。番もいるし、結婚もしていて、高校生の息子と娘がいる」  と、説明する。  「ごゆっくり」と言い残して、オーナーは奥へ消えた。  一馬の母はαだ。一馬が3歳の時に運命の番と出逢って家を出たと聞いている。今はその番とブライダル事業をやって成功していると言うが、表立って連絡を取り合うことはしていない。  しかし、元秘書を通して、こんな形で連絡を取り合っているとは思わなかった。    これは、母親に紹介しに来た…という感覚でいいのかな?と、蒼は首を傾げながらミルクティーに口を付けた。  エアコンで冷やされた体に、温かいミルクティーはホッとする。  カップを置き、フォークを手に取る。  その一挙一動に視線を感じ、蒼は一馬を見た。   「昨日は…酷いことをして悪かった…。すまない…」  目の前に、生クリームとイチゴを添えられたパンケーキを置いて、蒼は一馬にそう謝られる。  蒼は昨夜の事を思い出して、耳まで真っ赤になる。  途中でわけがわからない状況にはなったが…、そこは発情期中と違うのであろう…記憶がある。 「僕の方こそ…あんなこと言ってしまって……ごめんなさい」 「いや…。性急に事を進める上に、説明は後回しにする私が悪い。そう言って涼にも貴良にもいつも怒られるのだが…」  コーヒーを1口飲むと、バタートーストをほおばり始めた。  蒼も恐る恐るパンケーキを食べ始める。  そもそも、なんで自分にはこんなクリームとイチゴが乗っているふわっふわのパンケーキなんだ?と思うのだが、メニュー表を見る前に注文されてしまった。  それが少し不満だったのだが、1口食べて、口の中でふわっと溶けて消える甘さに、思わず表情がほころぶ。  その蒼の表情を見た一馬は、そっとスマホを出し、蒼に気付かれないようにカメラを構えた。  ピコン。 「…ん?」  蒼がシャッター音に気付いて顔を上げる。  ピコン。 ――んんん…?! 「…何を…しているんですか?」 「クリーム付いている」  と言って、一馬は撮った写真を見せた。  確かに上唇の左端に生クリームが付いていた。  蒼は紙ナプキンでそれを拭くと、 「だからって、それを写真に撮らなくても…」  と照れながら言う。 「…ん~…。証拠写真…?」  一馬が写真の写り具合を確認しながら言う。 「何の証拠ですか?!」 「休み明けの貴良に怒られないため…の?」  蒼には一馬の行動がよくわからなかった。  自分でそうしたくて行動しているのか?誰かに言われるからそう行動しているのか?  ただ、ニコニコと撮った写真を眺める一馬の顔が、「自分が撮りたかったから撮った」と言っているように感じてならなかった。  「おいしいか?」と聞く一馬は、さっさと自分の目の前にあるものを食べ終えて、ゆっくりとコーヒーを飲んでいる。  蒼が頷くと、パンケーキの端をつまみ食いした。 「甘い」  と言って、コーヒーを飲む。 「一馬さんは甘いものは嫌いですか?」 「嫌いではない。たいてい出されるものは完食するぞ。仕事柄…会食が多くて好き嫌いを言っていると面倒くさいことになるからな」  豪華な食事を食べる機会が多いために、家ではあえて質素な食事にしていたことを思い出す。  一馬に連れられて出掛けるには、この少食と好き嫌いの多さを何とかしなければ…と、感じていた。  ちょうど1週間前の今頃は、病院でΩだと言われていた。  初めての発情期を経験し、家族と離れ、首輪も着けてΩとしての人生をスタートさせた。αにモテまくったり、初体験までして…、こんな怒涛の1週間はもう経験することがないのではないだろうか?  なのに今、とてもゆったりと落ち着いた時間を、カフェで過ごしている自分が信じられなかった。 ――デートみたい。  いつの間にか、周りの女性たちが「あの子可愛い」「可愛い」と見てくる視線も気にならなくなるくらいに、幸せな気分になっていた。
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