1章-9 伏魔殿

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1章-9 伏魔殿

 その日の貴良は、一馬の部下の貴良ではなく、東郷に養子として入った親族の1人としての貴良だった。  いつもの黒いスーツ姿ではなく、ノースリーブのハイネックと、ロングスカートにも見えるワイドパンツのセットアップ。黒に近いネイビーの生地は、光の加減でラメでも入っているようにキラキラとした光沢がある。  アクセサリーを一切付けていなくても、豪華に見えるのは貴良が着ているからだろうか?ベルトのシルバーのバックルだけが唯一、アクセサリーのように光っていた。 「き…貴良さん…。いつもと随分雰囲気違いますね…」  白いワイシャツに青みがかったライトグレーのスーツを着て、紺色のドット柄のネクタイを握りしめた蒼が、貴良の美しさにドン引きする。 「蒼様もよくお似合いですよ」  と貴良に言われても、同じ性別とは思えない見た目の違い…。  貴良にネクタイを結んでもらいながら、ドキドキしてしまう。 「はい、できました」  と言われ、自分の姿を鏡に映してみたが、どうみても珍竹林で、これからαの巣窟のような東郷家の親族会に行くのかと思うと、気が重くなる。 「背筋を伸ばして、顔を上げていれば、蒼様も充分魅力的です。俯いていては(あなど)られるだけですよ」  貴良が両手で蒼の頬を持ち上げて、にっこり笑う。  蒼も真似して笑ってみたが、顔がひきつってしまった。  でも俯いていたら、そこで負けてしまう。一馬の横に居て情けない姿だけは見せないようにしようと、背筋を伸ばした。  背筋を伸ばし、スーツ姿の自分を眺めている蒼の姿を、一馬は目を細めて見ていた。華奢な体にピッタリと合うスーツを着こなした蒼の姿は、聡明な顔立ちを引き立てて、存在感を充分に感じるだけの魅力を備えていた。 ――無自覚なのも、困ったものだ。  いつもより明るめのグレーのスーツ姿の一馬は笑みを漏らす。  東郷家の本邸は、α用特別居住区にある。  α以外は通行許可証を持つか、居住するαと一緒でなければ立ち入ることもできない特別区だった。  ナンバーを登録してある車以外はすべて入口で警備員に止められ、身分証明書をチェックされる。不審な行動をとればαであろうとしつこく質問されてなかなか通してもらえないくらい厳重だった。  この地区に住んでいるのは東郷家だけでなく、財界のトップや大物政治家、誰もが名前を知っているような有名人まで…。ちょっとした事件や事故でも起きようものなら、即ニュースになるような人しか住んでいない。警備も厳重になるのは必然だった。  特別居住区は、どこもかしこも木が鬱蒼と茂って、所々、公園か?と思うような庭が現れたりする。  林の奥に、迎賓館や美術館、料亭を思わせるような大きく豪華な建物が見えるが…あれがみんなここの住人の住まいだというのだから驚きだ。  別に小さくも質素でもなかった緑川の家が、ごく普通の一般住宅に見えるくらいに。  特別居住区の入り口を入って車で10分。 再び大きな門の前で車が停まる。  西洋の洋館や迎賓館を思わせる鋳物の格子の門がゆっくりと開く。  門から真っ直ぐに伸びる石畳の上を車は進んだ。  両脇には、等間隔にクロマツが植えられ、その奥はきれいに刈り込まれたボックスウッドと緑の芝生が美しい。  さらにその奥は、隣の敷地が見えないくらいに木々の生い茂る林だった。  夜に逃げ込んだら、獣でも出そうな雰囲気がある。  広く石畳を敷いたスペースに、噴水やベンチ、四阿(あずまや)などが見え始める。外でパーティなんかもできそうだ。 「夏はここで花火をするのも楽しい。…って、そんな齢でもないか」  一馬がボソッと言った。  こんな大きなお屋敷で生活していても、遊んでくれる相手がいたのだろうか?  母親の代わりとなって面倒を見てくれていた継母と?友達?従弟?  一馬は子どもの頃の思い出を蒼に語らないので、何も知らなかった。 「さぁ、伏魔殿に到着だ」  一馬が言うと、車は迎賓館か?城か?と言いたくなるような、豪華な屋敷の車寄せに停まった。
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