1章-9 伏魔殿

4/4
前へ
/260ページ
次へ
「悠馬、ありがとう。お前も…αだったんだな」  食堂に移動しながら、蒼が悠馬にこっそり礼を言った。 「一馬さんからボディーガードを頼まれていたのに、鈍くてすみません。…ってか、先輩、僕を何だと思っていたんですか?」  悠馬がいつもの悠馬に戻る。  蒼も学校で見せるお茶目な顔で「ん~?」と、首を傾げた。  食堂には、なが~いテーブルが1つ、真ん中に据えられていた。  奥に一馬が、向かい合うように祖父がテーブルに着くと、順番に座っていく。  蒼はどこに座ったらよいものかとオロオロしていたら、一馬に横へ来るよう促された。    昼間の親族会ということで、フレンチのハーフコースだった。  オードブルに始まり、スープ、パンが出て、メインの肉料理を3/4程食べ終えた頃、祖母がようやく口を開けた。 「その貧相な男の子が運命の相手だというのですか?」  御年75歳とは思えない威圧感を持ったその女性は、食堂に入った時から蒼を品定めするように眺めていた。  祖母は自分の部屋から真っ直ぐに食堂へ来たため、前室でのやり取りは一切知らない。  年齢を感じさせないくらい豊かにあるグレーの髪を束髪に結わえ、着物姿のその女性は、前当主婦人。そして、現当主の祖母。 「男のΩだなんて…」  祖母は、そう呟いた後、黙ってメインの肉料理を食べてしまう。  蒼は東郷家の後継ぎを産める産めないの話になることを覚悟しながら、ナイフで小さく小さくカットした肉を口に運んだ。  男のΩは、全人口の2~3%しかいないΩの中でもさらに希少種と言われる。  非情に珍しいのだが、繁殖に特化していると言われるΩ性であっても、男性となると…女性ほど出産に向いている体型をしていない。発情期にαと性交すれば確実に孕むΩではあるが、出産となるとリスクは女性より高かった。その上、出産に適した年齢は女性よりも短い。  もう…料理の味なんて、わからない。  目の前の牛フィレ肉のステーキに赤いソースが掛かった高級なメインディッシュよりも、早く家に帰って貴良の作ったハンバーグでも食べたい気分だった。  祖母はグラスに入った赤ワインに視線を落とし、蒼の顔は一切見ない。 「Ωに大学進学なんて必要ないでしょう。東郷の嫁として躾ける必要だってありません」  そう言い切ると、残っていたワインを飲み干す。  後ろに控えていた給仕がワインを注ごうとしたが、祖母が断ると給仕は後ろへ下がった。 「緑川家?落ちぶれた財閥の次男なんて東郷と家格が合うわけがないでしょう?お見合いを断り続けて運命の番を探すだなんて言い出し、見つかったのがコレ?もちろん種付けは済んでいるんでしょうね?!」  女性とは思えない低い声で静かに周りを圧するように言う言葉に、自分に向けられた言葉だとは思わなくても周りが息を飲む。  その言葉の矛先である蒼の顔は血の気が引いて青かった。  まだ子どもが産める体ではない、なんて言ったら何て言われるのだろう?家のことだって、どうせ何から何まで調べがついているのであろう…。  蒼の手が冷たくなる。 「せいぜい愛人か、使用人かいいところね。男のΩなんて調教して手懐ければ、愛玩くらいにはなるんでしょ?」  その祖母の言い方に、流石に一馬も黙ってはいられなくなる。一馬は水を1口飲むと、 「その物言いはあまりにも失礼です。何十年前の価値観で話をされているのでしょうか?この家の現当主は私です。私の決めたことに口出しをしないでいただきたい」  と、祖母を見据えてきっぱりと言い放った。 「蒼はまだ高校生です。すぐに子どもを作ることは考えていません。今はΩも大学へ進学して就職する時代です。彼にだって自分の人生を自分で決める権利はある。あと、他所様の家を軽々しく侮辱するのはおやめになった方がよろしいですよ」  その声に、蒼は顔を上げて一馬を見た。 ――ここで怯えていちゃいけない!  玄関を入った所で「背筋を伸ばして、顔を上げろ」と言われたことを思い出す。自分がここで祖父母に屈して、親戚の前で情けない姿を晒してはいけない。自分を守ろうとしてくれる一馬に申し訳ないと言う気持ちで、姿勢を正し、顔を上げる。 「一馬さん、あなたまで両親と同じようにΩにうつつを抜かすのですか?!」 「私がいつ、うつつを抜かしましたか?東郷グループの最高責任者としての務めは果たしているつもりですが?」  見えない火花がスパークしている。その場にいた親戚一同も固唾を飲んで見守る。  ぶつかり合うαの気迫。その一馬の気迫に守られているようで、蒼は気持ちを立て直す。 「いい加減にしないか。一馬の言う通りだ。今の時代、Ωはただαを産むだけの道具ではない。…だがな、一馬。この家がこれから先も栄えていくには優秀な後継ぎが必要だ。それを忘れてくれるな」  前室での行いを忘れたかのように、シレっとした顔をしてメインディッシュをたいらげた祖父が、2人の会話の仲裁に入る。  祖母が席を立つ。祖父が一馬の味方をするようなことを言ったのが気に障ったらしい。 「食事の席にΩが居るのはホ~ント嫌だわ。臭くて食事が台無し。デザートは私の部屋に運んでちょうだい」  メインディッシュが終わって、これからデザートという時にそう給仕に言い残して、食堂を出て行った。  蒼は、そんなに匂うだろうか…?と、ジャケットの襟を引き上げて匂いを嗅いでみる。…自分の匂いはわからない。  祖母が食堂を出ると、親戚の間から少しホッとした空気が生まれる。  しかし、まだ、祖父がいる。 「そのΩを囲っておいても構わないが、子どもが産めないのであれば、早急に別の嫁を見つけなさい」  祖父は一馬の味方をしたようでいて、結局のところ味方ではない。 「…それはお断りいたします」  一馬はきっぱり断る。 「いくら成績が優秀でも、Ωになれば成績を維持するのは困難。優秀だった貴良でさえか、T大受験を断念しS女子大へ行っただろう?」  祖父の話が貴良に飛び火してきたため、次太郎が表情を硬くした。 「貴良をαしかいないような大学へ通わせるわけにはいかなくて、Ωでも通いやすいS女子大にしたんです。学力ではT大だって合格していましたよ。高校1年生の後半はほとんど学校へも通えない状態でした。薬の効かない体質だから仕方がないのに、それでもよく頑張ったと思いますけど?αであることに胡坐をかいて努力を怠る連中より、はるかに優秀です」  次太郎が、これ以上貴良に触れてくれるな、という顔をして祖父に言う。  祖父は、一馬や次太郎のように、Ωも能力さえあれば平等に…という考えではない。 「蒼は番にしてもしなくても、結婚してもしなくても、我が東郷グループに必要な人材として育てたいと考えています。学習面や進学に関しては最大限サポートしていきますが、体調がまだ安定しないうちは何とも言えない。けれども、人を引きつけてまとめて行く力には目を見張るものがあります。組織のトップに置いて人を動かしていく才能があるかと思うのですが」  一馬が、祖父に言いたい放題言わせる間を与えずに話す。 「蒼が仕事に就いた時に、私を選ばないというのであれば、お祖父様の言う通りαとでも誰とでも結婚しましょう。どうせ私は生まれたときから愛情とは程遠い人生です。別に恋愛結婚をしたいなどという願望もありません」  続けて話すその内容は、ようやく手に温かさが戻ってきた蒼の心に冷たく響く。 「こんな所に連れてきて『運命の番見つかりました』って紹介しておいて、それは…あんまりだよ、一馬君」  次太郎が驚いて目を眉を上げた。 「慌てることはない。君も自分を見失うくらいの恋愛をしてみればいいのに」  次太郎はそう続けて、自分の妻に同意を求める。  2人で「ね~」と頷き合う。ケンカをすると家庭内が法廷のようになるα同士の夫婦なのに、基本的には番の夫婦のように仲がいい。 「一族の長が恋愛にうつつを抜かすなど、あってはならない!だから初馬はいなくなったのだろう?」  祖父は次太郎にイライラして言うが、次太郎も引かない。 「お父様、それは一馬君に言っていいセリフではありませんよ。原因はもともと…」 「次太郎さん、いいんです」  一馬が止める。  一馬と次太郎の間に座っていた蒼に視線を落とす。  蒼がおいしそうにデザートを食べ始めたのを見て、『もう、どうでもいいわ、そんな話』という気分になる。  蒼も、一馬は何と言われても自分を側に置いておこうとしている。そして、期待してくれているのなら、その期待に応えていこうと腹を括って、好きなデザートを楽しむことにしたのだ。  …目の前に出されたのが、蒼の好きな白桃のコンポートと、レアチーズケーキだった。食べないわけにはいかない!  祖父も祖母も、親戚も、この屋敷も…どうでもいい。  一馬が自分を愛してくれても、くれなくても、生きていく強さを持たなければならないのだ。  生きていればこの先もきっと、もっとひどいことを言われ続けるであろう。  その度にいちいち、ウジウジと凹みながら生きていくのは御免だ。
/260ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3251人が本棚に入れています
本棚に追加