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Ⅷ
数日後、全ての日程を終えた俺達は、レヴァントの自家用ジェットで帰国の途についた。タラップが外され、ゆっくりと機体が海に向かって滑り出す。機首が徐々に頭をもたかげ、地上を離れ大空へと離陸していく。
窓の外に眼を凝らして見つめる東京の街はみるみる小さくなり、そして雲の下へと隠されてしまった。
俺は小さく息を吐き、シートベルトを外した。ミハイルが、書類の束の間を置いて、俺の横顔に囁いた。
「楽しかったか?」
俺は素直に頷き、ミハイルの頬に軽く唇を触れた。
「ありがとう、ミーシャ」
ミハイルの大きな手が、軽く俺の頭を撫でた。
「それにしては、浮かない顔だな」
ヤツのブルーグレーの瞳が俺の顔を覗き込む。
「あの坊やのことか......」
「さすがにマフィアのボスだ。眼力は侮れないな」
お前の考えていることなどお見通しだ.....と言わんばかりのドヤ顔に、俺は小さく苦笑して、言った。
「遥は......さ、自分と俺の人生は似たようなもんだと思っているけど...たぶん違うんだよな。俺は俺の自由に生きていた時代がある。
お前を散々待たせたけど......。その時間は俺の中から消えることはない。お前の下宿でお前と語り合った時間も、俺には宝物だ」
遥と俺は今は似通った年頃だが、俺にはラウルとして別な肉体で生きた別な人生がある。その頃からミハイルとは繋がっていたけれど、あの若い日にミーシャと過ごした時間があるから、ミハイルのとんでもない暴挙だって許せた。
「遥は、ずっと籠の中で生きていくのかな.....」
ミハイルがほんの少し首を傾げて、小さく笑った。
「それは彼が選んでいくことだ。生の広さ深さは他人の物差しで測るものじゃない」
「そうだけど.....」
つい口を尖らせる俺にミハイルが窘めるように言った。
「誰もが自分の空を持ってる。猛禽のお前と金糸雀の雛の遥が同じ空を飛べる訳じゃない...。まぁ、たまに籠から出して羽根を伸ばさせてやるのも必要だろうがな」
「そうだろう?!」
俺は思わず身を乗り出した。が、ミハイルの腕に、その腰をがしっと捕まれた。形のよい整った唇が啄むように口づけてくる。
「だが、お前は私のパピィだ。それを忘れるな」
むくれる俺に、ニコライがこっそり苦笑いしていた。
帰国後、遥の名前で小さな包みが届いた。繊細なカットの赤と青の色ガラスのグラスがふたつ。江戸切り子....というらしい。
中に入っていたカードには一言。
ー See you again ! ー
それは静かな祈りの暖かさに満ちていた。
ーいつの日か、あの小さな美しい青年が、大鳥になって大空に羽ばたく姿を見てみたい。ー
俺はミハイルの傍らでキラキラと光をはじくグラス越しに広がる空を見詰めていた。
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