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Ⅴ
駐車場にバイクを止めて、海の近くの板敷きの遊歩道をゆっくりと歩く。
「腰、伸ばしたほうがいいぞ」
と言うと遥が小さく頷く。少し顔色が良くない気がするのは、姿勢的に無理をさせたせいだろうか?
「疲れたか?」
と訊くと、ううん...と小さく顔を振る。しかし、本当に可愛い。柔らかな髪が風になびいて、長い睫毛に光が散る。隆人が夢中になるのもわかる気がする。
「小蓮(シャオレン)...」
薄紅色の花弁のような唇が遠慮がちに開く。俺はちょっと訂正を入れる。
「ラウルだ」
「じゃあ、ラウル...」
俯き加減で遥かが慎重な口振りで問いかける。
「さっきの、あの子......」
「あぁ、俺の息子だ」
俺は波間に浮かぶ鷗を見ながら言う。
「息子って.....ラウル、奥さんいたのか?...子供、捨てたのか?」
「結婚はしてない。それに俺は捨ててない。...捨てられたんだ」
「捨てられた?.....何故?」
遥が泣きそうな目で俺を見上げた。俺はちょっと困ったが、笑ってその目を見つめた。
「俺が悪かったんだ。.....仕方ないさ」
遥がますます泣きそうな顔になる。
「大丈夫だ。遥、気にすんな。彼女も息子も今はきっと幸せだ」
「ラウルは、それでいいのか?」
「仕方ないさ....でも、俺はユーリとレイラが幸せならば、幸せだ。だから、大丈夫だ」
俺はもう以前の俺じゃない。レイラの望む恋人にも、ユーリの良い父親にもなれなかった。だが、彼らには昔の俺に限りなく近い彼が、柳井融がいる。だから大丈夫だ。
遥がそれでも何か言いたげに俺を見上げた。
俺は、話題を変えることにした。
「ジェラート食べるか?」
遥が頷く。俺はイリーシャに目配せし、チームの一人が売店に走った。すぐに両手にソフトクリームを持って走ってきた。
「ありがとう。ほら.....毒なんか入ってないと思うぞ」
遥の白い華奢な手が三角のコーンを掴み、可愛らしい舌がペロリとジェラートを舐めた。
「美味しい」
「そりゃ良かった」
俺は遥の笑顔にほっとして、自分のソフトクリームを舐めた。久しぶりの甘さに身も心もほどける気がした。
「ラウルはさ.....」
遥が、やはり遠慮がちに聞いた。
「レヴァントをどう思ってるんだ?....その.....無理やりだったんだろう?」
あぁ....と俺は思った。遥は俺と違って正真正銘の若者だ。自分の境遇を受け止めきれない部分があってもおかしくはない。隆人が何故、遥を囲っているのか、詳しい事情は知らないが、普通に考えたら理不尽な話ではある。俺もだが....。
「俺は.....」
遥が躊躇いがちに口を開いた。
「無理やりあいつに拐われて、いいようにされて.....腹が立ってる部分も恨んでるところも憎んでるところもあるけど.....俺があいつの番で、俺にしかあいつを守れないから...だから、俺は生きている限り、あいつを守りきらなきゃと思う、男として.....あいつは俺をガキ扱いするけど、あいつは俺がいなきゃダメな奴なんだ」
慎重に言葉を選びながら、それでも目を細めて眩し気な顔をして誇らしげに語る遥は、やはり『男』の顔をした。思わず微笑む俺に遥が訊いた。
「小蓮(シャオレン)は、ラウルはどうなのさ...」
俺は水平線の彼方を見つめながら、言った、
「俺は....そうだな、やはり守らなきゃならないと思ってる。遥みたいに祈りの力は無いから、身体を張るしかないけどな」
「何故?」
「俺にはあいつしかいなくて、あいつには俺にしかいないからさ。....あいつは、本当は優しくて真面目で繊細な男なんだ」
「繊細?.....レヴァントが?」
遥が眉をひそめた。まぁ無理もない話だ。ヤツは外側の人間には『氷の魔王』と言われるくらいだからな。
「あぁそうだ。...そのあいつを、ミーシャをあんなふうに変えちまったのは、俺なんだ。だから俺はあいつを命に替えても守らなきゃならない。あいつの中の『ミーシャ』を守りたいんだ。お互いにたったひとりの『家族』だしな」
ロシアでは同性婚は認められていない。だから俺は邑妹(ユイメイ)の養子になった。邑妹(ユイメイ)はミハイルの父の内縁の妻で籍は入っていないが、実質上、俺とミハイルは義兄弟になる。つまりは『家族』だ。
「たったひとりの家族って.....ラウルの親は?」
遥がつぶらな瞳を揺らしながら訊いてきた。
「オヤジは死んだ。母親の顔は知らない」
「ごめん....」
遥の目から涙がぽとりと落ちた。俺はその柔らかな髪をくしゃくしゃと撫でて笑ってみせた。
「遥....泣くな。いい父親だったよ、二人とも.....。俺に後悔はない」
「俺も....俺の父さんもいい父親だった。本当に....俺をひとりで育ててくれたんだ、ひとりで……」
俺は、小さく震える遥の肩をそっと抱いた。
鷗が一羽、白い腹を見せて俺達の頭上を飛び去った。
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