第一部:回想編

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 家に嫌気がさした時、僕は度々、近所に住む親友の家に行った。彼の名は関口士郎(せきぐちしろう)。僕とは同い年で、物心ついた時からの幼馴染である。士郎は頭の回転が速い少年で、ものをはっきりと言いすぎるきらいはあったものの、そのさばけた性格は当時から好ましかった。  士郎の家は、両親と姉の四人家族だった。若くして弁護士事務所を立ち上げたという父親は不在がちだったが、母親と姉はいつも僕を歓迎してくれた。彼女たちはひどく騒々しかったが、それでもあの陰鬱な家にいるよりは数倍ましに感じられたものである。  しかしある日、士郎の家を訪れると、僕はどこか様子が違うのに気づいた。いつも陽気な士郎の母親の、泣きわめく声が聞こえた。中学生の姉がなだめる声も聞こえる。どうやら母親は、昼間から酒を飲んでいるようだった。  不審そうな僕に向かって、士郎は苦虫を噛み潰したような顔で、父親に女がいるのだと告げた。それも、何人目かの愛人だと言う。 『自分は好き勝手してくるくせに、事務所を継げなんて押し付けられる筋合い無いね。俺は、絶対に弁護士になんかなるもんか』  ――父親の浮気に、同じ職業の押し付け、か。  奇しくも自分と同じ環境と知り、僕はいよいよ彼に親しみを覚えた。同時に、こんな幸福そうに見えた家にも綻びはあるのだと知り、ほの暗い愉悦の感情が沸き上がるのを抑えられなかった。
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