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プロを目指して、院生になるための試験を受ける、と告げると士郎は怪訝な顔をした。
『あんなに嫌がっていたのに、どういう風の吹き回しだ?』
『この前の囲碁大会で、思う所あってね』
『大会? お前、大会なんて嫌いだったんじゃないのか』
士郎はますます疑わしそうな顔をした。
『秋江の付き添いで行ったんだよ。そこで会った子に、影響されてね』
潤一郎の反則の件や、扇子を渡したことは伏せて、僕は曖昧にそう告げた。もちろん、あの子にキスしそうになったことなんて、言えるはずも無かった。
『ふうん。お前が影響されるくらいだから、よっぽどの打ち手なんだろうな』
士郎は何故か、少し寂しそうな顔をした。
『ああ、それで院生にチャレンジするんだな? それくらいハイレベルな子なら、いずれは院生になるかもしれないものな。そこで対戦したいんだろう?』
士郎は、そう解釈したようだった。実際はそうではないが、彼にはそう思わせておくことにした。
院生試験を、僕は軽々と突破した。そこで僕は、良きライバルと出会った。僕より一歳年上の鬼澤敏だ。彼は、元七冠たる妹尾安吾の愛弟子であり、当時から注目されていた。院生時代を通じて、僕は彼とトップを争い続けた。それは良い刺激になったが、僕が気にかかっていたのはやはりあの子のことだった。士郎はああ予想していたが、彼が院生として入って来ることは無かった。それでいて、アマチュアの大会に出て来ることも無かった。僕は暇を見つけては都内の囲碁大会を巡ったが、あれ以来その子に出会うことは無かったのである。
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