蜂蜜の夢

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 時々、夢を見るんです。  何もかもが、琥珀色の夢。  幼稚園の時、冷蔵校の上に大きな蜂蜜の瓶が乗っていて、それを通して部屋の中を見ると、全部が淡い琥珀色で、瓶の形に歪んで見えたのを思い出します。  だから私は、それを『蜂蜜の夢』って呼んでます。  夢はいつも、音から始まります。遠くから聞こえるくぐもった蝉時雨です。しばらくすると同じく不明瞭な子供達の声が聞こえ始めます。  私はそれを聞きながら、ゆっくりと琥珀色の薄暗い廊下を進んでいくのです。  木の床に、多分白い壁。  学校--小学校の廊下です。   でも並んだフックには体操服の袋が一つもかかっていませんし、開けっ放しの教室のドアから見えるロッカーも空です。  きっと夏休みなんでしょう。  だから蝉時雨。そして、部活かクラブか、外で遊ぶ同級生か下級生達の声が聞こえているのでしょう。  してみると私は高学年の時の夢を見ているのでしょうか。  ともかく、私はふらりふらりと、廊下を進んでいきます。  夢独特の、体がないような浮遊感に私は酔いしれます。 『君はとてもきれいな目をしているね』  夢の中では、いつもこの声が近くから聞こえてきます。  声の主は判っています。  K先生。  小学校の時の先生です。  他の先生たちや、同級生たちと同様、顔はもう覚えていません。父さんや母さんの顔ももう朧気なんですけどね。 『君は肌もきれいだね』  またK先生の声。  背は高かったような気がします。いつも白衣を着ていたような気もします。  私の後ろをK先生は歩いているようです。 『君はとてもきれいだね』  私は何度も繰り返されるその声を聴きながら、廊下を曲がり、更に薄暗い南棟に向かいます。  南棟には教室はありません。家庭科室や理科室、音楽室といった特別な教室があるのです。  私と後ろのK先生は階段を上がり、三階に辿り着きます。  その奥に、準備室があるのです。  K先生がいつもいた部屋。  理科準備室、だったような気がします。  中に入ると、廊下より更に薄暗くて、沢山のフラスコが棚に入っています。分厚いカーテンの隙間から、今みたく光が少し入ってきていて、きらきらと輝いているのです。  私はそれがとてもきれいに見えました。  だから棚の方に行こうとして――  行けないのに気が付きました。  私はただ、漂って、進んでいくだけ。  ああ、嫌な夢だなと思いました。  自分ではどうにもならない夢。  そして、いつも見ている夢の最後を思い出します。  準備室の奥に、大きな鏡があるんです。  私はそこに向かって進んでいくのです。  私はそこが嫌いです。  そこにはK先生の机があるんです。  その周りにはずらっと、大きなガラス容器があるんです。  中には様々な物が入っているんです。  大きな白いぶよぶよとしたイルカの赤ちゃん。両手でも持ちきれない大きさの芋虫。尻尾を折り曲げられた大きなトカゲ。  それらが、私をじっと見てくるんです。  私はそれが嫌で、とても嫌で、でも進むのが止まらないんです。  回れ右をして部屋を出たいのに、それもできないんです。    そして夢は最悪の終わり方をするんです。  私はふっと立ち止まるのです。  そして椅子を引く音が遠くから聞こえ、私の視線が下がり始めます。  椅子に座るのだな、そう思って、前をよく見ると、そこはあの大きな鏡の前なんです。  私の中に恐怖が――ああ、今思い出しても、とても怖くて――それが溢れて、私は最後には目を瞑ってしまうのです。  鏡には――  ところで、あなたは何故病院に来ているのですか?  私は――確か家に帰ろうとしていたら急に気分が悪くなって――それからK先生に熱射病だからと学校で寝かされて――それから、いつのまにかこの病院に――  しかし、妙ですね。  私は何故小学校の時の、顔も覚えていない先生に介抱されたのでしょうか。  私は入院してからずっと眠っていて――今はいつなのでしょうか?  もしかしたら一週間ぐらい経っているのでしょうか?  それにしてもここは薄暗いですね。  カーテンを開けてはいけないのでしょうか?    それは何ですか?  カメラ?  けいたいでんわ?  え? 懐中電灯にもなるんですか、それ?  凄いですね、それ――あれ?――何故――ここはこんなに蜘蛛の巣が――その後ろにある棚は――割れたフラスコは――どうして――  どうして、私の見ている世界は琥珀色なのでしょうか?  え?  鏡に写っていた物――ですか?  それは――ああ、頭が痛い――目が重い――すいません、目を瞑ってもいいでしょうか?  それは――私の顔が写っていて――K先生が大きなガラス容器を持っていて――  私の顔だけが――浮かんでいて――
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