姉と巡る夏の宵山

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8  スーパーボールすくいのお店の人に竹の櫛を渡すと、店員さんは少し寂しそうな表情を見せた。でも、すぐに笑顔を作るとスーパーボウルを僕の鞄に入れてくれて、バイバイと手を振ってくれた。僕と姉も手を振り返して、店を後にした。 「あと、一回だけ遊べるけど。何処に行きたい?」  姉はぎゅっと僕の手を掴んだ。まるで、僕から離れたくないみたいに。だが…… (お姉ちゃんが居るとはいえ、そろそろ父さんも母さんも心配してるよな……)  と思い至った。考えてみれば、僕は今、スマホを無くしている。早く連絡を取らないと、下手したら警察沙汰になるかもしれない。そしたら、姉にも迷惑がかかってしまう。  僕は姉に事情を話し 「もう、流石に帰らなきゃ。名残惜しいけど。宵山はここまでにするよ。一緒に帰ろう」 と言った。その言葉に姉は泣き出しそうな表情を浮かべた。まるで、今生の別れのように僕を見ている。 (何か、姉さんを傷付けるようなことを言ってしまったかな……) と不安に思っていたが、姉は 「分かった。付いてきて……」 と僕と目線を合わせずに、僕の手を引っ張った。  連れてこられた先は、八坂神社の鳥居の前だった。どうやら、僕達は先程の裏路地から知恩院前や円山公園の中を突っ切って、ここまで来たらしい。あんな所にも出店って出てるんだと不思議に思った。  そして、鳥居の右側の柱には先程も通った大きな鏡が立てかけてあった。傷が一つも付いておらず、オレンジ色の提灯の灯りが光源となって僕たちの姿を映し出している。 「ねぇ」 姉がおもむろに話しかけてきた。そして、不思議なことを問いかけてくる。 「お姉ちゃんとお父さん・お母さん、どっちと一緒に居たい?」  おかしい質問だと思った。僕達は家族なんだから、どちらとも一緒に居たいに決まっている。 「皆で一緒に居たいに決まってるよ。それじゃ駄目なの?」  僕の答えに、姉の透き通った瞳から一筋の涙が零れた。 「……ごめんね。お姉ちゃんは一緒には帰れないの。でも、凪が私と一緒に居てくれるなら……」  そこまで言ってから、姉は首を横に振った。 「……ううん。駄目ね。本当は凪はここには来ちゃいけなかったの。でも、どうしても、……。凪はそっちに居なきゃ駄目だよね。お父さんとお母さんに会いたいもんね……」  姉の台詞の最後の方は、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。だが、口に出す度に大粒の涙が姉の目から零れ落ちた。 「……波子姉ちゃん。どうしたの? 大丈夫?」  僕は心配だった。どうして、姉が泣き出したのか、この時点では分かっていなかったから。姉は手で涙を拭って、ぎこちない笑顔を作った。目がほんのりと赤くなっている。 「大丈夫だよ。ねぇ、凪。今日は楽しかった?」  うんと頷くと、姉は僕の頭を優しく撫でてくれた。心なしか、触られている感触が薄くなっているように感じた。  姉は僕の鞄から貰ったスーパーボールを取り出し、腕にかけていた金魚の袋を手に持つと、合掌するように二つの物を持った手を重ね合わせた。 「わぁっ!」  僕は驚きの声を漏らした。姉の手には、赤と黒の二匹の金魚が泳いでいる姿が描かれたスーパーボールが置かれていた。 「凄い! どうやったの? 手品?」  興奮して訊ねる僕に、姉は 「これはお土産ね」 と言って手渡した後、まだ僕の手に持っているすもも飴の持ち手を掴んだ。 「この飴と交換してもらってもいいかな?」  姉の問いに僕は頷く。 「ありがとね」 と微笑んで、姉はすもも飴を手に取った。  ふと、鏡から聞き覚えのあるような声が聞こえてきた……ような気がした。姉もそれに気づいたらしく、僕を鏡の前へ連れて行った。 「私はここを通れないの。通れるのはあなただけ……。お父さんとお母さんにお姉ちゃんは元気にしてるって伝えてね」 その悲しげな声を聞いて、僕も涙が出そうになった。もしかしたら、姉と会えるのはこれが最後になるかもしれない……と。確証はないが、そう思わせるような雰囲気が姉の様子から伝わってきた。  姉がかがみ込んで、僕と顔を合わせた。僕は姉を抱き締めた。もう、何処にも行って欲しくない。姉ともっと、一秒でも長く一緒に居たかった。 「嫌だよ。お姉ちゃんと離れたくない。一緒に帰りたいよ。ねぇ、一緒に行こうよ。寂しいこと言わないでよ。お願いだよ、お姉ちゃん!」  僕の目からも姉の目からも涙が溢れ出る。そっと、姉の額が僕の額に当たった。姉が僕をぎゅっと抱き締めてくれるのが分かった。段々と感触が薄くなっていくが、姉の温もりや甘酸っぱい匂いが僕を包み込んでいた。  鏡から聞こえる声が大きくなってくる。  姉が僕の背中から手を離し、鏡の方へ促した。小さくだが、手を振ってくれている。 「―――バイバイ」  姉のか細い声が背後から聞こえた。  僕は鏡を通り抜ける。
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