そうだ、京都へ行こう!

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 真崎が伴って現れた男は、兄弟というには顔が似ていない。男は、設楽と目が合た瞬間ふいと視線を逸らせた。 「ねぇ尊? 彼は、キミと何かあったのかい?」 「相変わらず目敏い男だな」 「失礼だなぁ。周りをよく見ていると言ってくれるかな」  顔面に張りつけた笑顔もそのままに、フレデリックの肘が設楽の脇腹にめり込む。 「ッぐ」 「おっと。少し強すぎたかな…」  設楽がその場に蹲るのもお構いなしにフレデリックは朗らかに笑った。その様子を、辰巳が呆れた顔で見ていたことは言うまでもない。 「お待たせいたしました、辰巳様、フレッド。わたくしの兄で、店主の真崎左京(まさきさきょう)です」 「僕はフレデリック。フレッドと呼んでくれていいよ?」 「辰巳だ」  にこりと微笑んだフレデリックと辰巳を見比べ、左京は僅かに眉を顰めながらも会釈を寄越す。いくら真崎が連絡を入れているといっても、東京からわざわざ突然訪問されれば怪訝に思うのは当然と言えば当然かもしれない。 「和服を所望と伺っておりますが…」 「ああ。俺のは適当で構わねぇよ。こいつに合いそうなのを見繕ってやって欲しい」  辰巳の親指が向けられた先は、もちろんフレデリックである。  左京の視線がフレデリックを上から下へと移動する。 「かしこまりました。それではこちらへどうぞ」  右手を奥の方へと向ける左京に誘われ、辰巳とフレデリックは畳敷きのフロアへと移動した。辰巳の脱いだ履物を、膝をついて直すフレデリックの姿に驚いたように眉をあげたのはなにも左京だけではなかった。 「フレッドは、本当に辰巳様に尽くしていらっしゃるんですね」 「うん? 嫁としてこれくらい当然だよ」  当然だと言いながらもどこか誇らしげなフレデリックに辰巳が溜息を吐いたことは言うまでもない。ついでに、持ちあげるような台詞を吐く真崎を黒い瞳がじろりと睨む。  これ以上フレデリックをその気にさせようものならば、手に負えなくなるのは火を見るより明らかだ。些かわざとらしい咳払いを辰巳がしたのは、そんな気持ちの表れだっただろうか。  辰巳の真意に気付いたかどうかはさておき、真崎は畳敷きのフロアへと移動したフレデリックの前に幾つかの反物を差し出した。 「肌の白い方には普通、濃いめのお色をおすすめするのですが、フレッドは淡いお色もお似合いになりますね」 「制服に慣れていたせいかな、スーツも明るい色が僕は好きだよ」  真崎が肩に当てては手渡す布地を手に、ふんふんとご満悦に頷くフレデリックである。 「手触りもとても良いね」 「お着物は、馴染んでくるとまた味わいが出てきますので」  大きな姿見の前に立つフレデリックの肩に反物を当てる真崎へと、左京が濃い色の帯を差し出す。 「ありがとうございます、兄さん。素敵なお色ですね。とてもフレッドにお似合いです」 「なるほど。キモノは淡い色で、帯は引き締まる色が良いという事だね」 「仰る通りですフレッド。お小物も色味を合わせると、とてもセンスが宜しいかと」  柔らかく微笑む真崎へと頷くフレデリックは、鏡越しに辰巳へと目を遣った。 「どうかな」 「ああ? 気に入ったんなら良いんじゃねぇのか」 「僕はキミの意見を聞いてるんだよ」 「好きにしろよ。どうせなに着たってお前はお前だろぅが」 「僕はキミに似合うって言われたい!」  お洒落に気を遣うフレデリックの衣装選びに、時間が掛からないはずはなかった。あれこれと鏡の前で反物を当ててみては辰巳を振り返る。 「これも素敵だね、辰巳!」  だがしかし、辰巳はまだ気付いてはいなかった。自身の衣装選びが済んでいないという事に。そしてフレデリックが、辰巳の衣装選びに手抜きなどする筈もないという事実に。    高い位置にあった陽も随分と低くなった時分。真崎の実家で和服の仕立てを無事に注文した一行は、町へと繰り出した。  平日だというのに観光客の姿が目に付く町並みに、当然気に入るはずもない辰巳が顔を顰めた、その時だ。ドンと腹のあたりに衝撃を感じて見下ろせば、色の薄い髪色の頭が腹に埋まっていた。 「あ?」 「あぃたたぁ…。ちゃんと前見て歩いてぇな…」  非難をはらんだその声は、辰巳のすぐ隣に居るフレデリックにもしっかりと聞こえていた。 「おやおや、大丈夫かい?」  半ば笑いながら訊ねるフレデリックの声に反応するように、色素の薄い茶色の頭が勢いよく上がる。同時に、僅かに後ろを歩いていた設楽と真崎の口から奇妙な声があがった。  呻き声にも聞こえるその声に、辰巳とフレデリックが振り返る。 「どうしたんだい? ふたりとも」 「お前らの知り合いか?」 「真崎の友人です。名前は確か……」 「千阪景次(ちさかかげつぐ)や…!」  言いよどんだ設楽の語尾を引き継ぐように、辰巳の腹へとぶつかった少年が高い声を出した。 「千阪?」 「カゲツグ…?」 「そうや」 「うーん…言いにくい名前だなぁ…」  困ったようなフレデリックの視線が真崎へと向けられる。が、真崎よりも先に反応したのはもちろん景次自身だった。 「言いにくいてアンタなぁ、失礼にも程があるやろ」 「ああ、ごめんごめん。僕は日本語が得意だけれど、これでもフランス人でね」 「いやまぁ、そりゃどう見ても日本人には見えへんけどな」  悪びれる様子もないフレデリックに、景次は呆れ返った。当人を目の前に名前を呼びにくいなどという人間に出会ったのは、もちろん初めてである。  そんな二人に助けぶねを出したのは真崎だ。 「景次、後日で構いませんので、是非フレッドと辰巳様にお茶を点ててくださいませんか?」 「はあ? まあええけど」  元より滞在中のどこかで茶会をと考えていた真崎である。景次とばったり出会(でくわ)したのは運がよかった。 「お茶?」 「はい。こう見えても景次は、茶道の先生をしているのですよ」 「こう見えても、は余計や。明日ならちょうど予定が空いとるで」 「では、明日伺います」  景次の不満を意に介した様子もなく真崎はフレデリックへと微笑んだ。 「お着物はレンタルもございますし、明日は和装で京都見物など如何でしょうか」 「それは素敵だね。お茶の作法を覚えるのも悪くない」 「それでは、明日はよろしくお願いしますね。景次」 「しゃーないなぁ。ほな、用意しとくさかい来る前に連絡せぇや」 「ありがとうございます」  ぶつかった当人をそっちのけに、ほいほいと翌日の予定を決めてしまった真崎とフレデリックに辰巳は思わず溜息を吐いた。それに気づいたのは設楽である。 「お疲れではないですか」 「あー…まぁな」 「先にホテルに行かれますか?」  フレデリックだけが好き勝手しているのであれば、設楽とてそこまで気を使う事はなかったろう。些かバツの悪そうな顔をする設楽に、辰巳は苦笑を漏らした。 「お前も尻に敷かれてんなぁ」 「親父ほどじゃあないですがね」 「はッ、言ってろタコ」  ともあれ男四人で観光する気などさらさら無い辰巳はフレデリックを呼んだ。すぐさま振り返るフレデリックへと、先にホテルへチェックインする旨を告げれば、案の定拗ねた声が返ってくる。 「どうしてキミはそんな冷たいことを言うのかな……」 「京都くんだりまで付き合ってやってんだろ、充分だろぅが」  声にならない唸りをあげるフレデリックを、辰巳は無視した。 「尊も、辰巳様と一緒に行かれますか?」 「ああ」 「では、夕食までには合流いたします」  行きましょうと、フレデリックの腕を引く真崎を見送り、辰巳は設楽と共にホテルへと向かった。  一方、フレデリックはといえば、真崎と並び歩きながらぶちぶちと不満を述べていた事は言うまでもなく。 「せっかくの旅行だっていうのに……僕は辰巳に愛されていないんだろうか…」 「そんな事はございませんよ。辰巳様はご多忙でしょうし、少しお疲れになられただけでは?」 「そうかなぁ……。潤は、尊と離れていて寂しくないのかい?」 「そうですねえ。寂しいというより、辰巳様も尊も、あまり目立ちたいタイプではありませんし、お仕事を離れている時くらいは、ゆっくりしていただければと思います」  自然と割れる人並みの中を、町並みを眺めながら歩くフレデリックに真崎は笑みを浮かべた。 「フレッドは、本当に辰巳様が好きなんですね」 「勿論だよ。辰巳以外に僕に釣り合う男はいないからね」 「確かに、お似合いだと思います」 「そう?」 「ええ。とても素敵なパートナーに見えますよ」  それから真崎の案内で京都の町並みを存分に散策したフレデリックは、ホテルへと向かう頃にはすっかり機嫌を回復させていた。
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