そうだ、京都へ行こう!

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そうだ、京都へ行こう!

 ――どうしてこうなった…。  そう内心で思わずにいられなかったのは、辰巳一意(たつみかずおき)その人だった。  新幹線の車内。なぜか今、辰巳の目の前には部下の設楽尊(したらみこと)と、その恋人である真崎潤(まさきじゅん)が座っている。向かっている先は、京都だ。 「ねえ辰巳? これはどうしてこんな形をしているんだい?」 「知るかよ阿呆」  ずんぐりむっくりとしたお茶のプラケースを物珍し気に眺めるフレデリックを横目に、辰巳は大きな溜息を吐いた。  事の発端が、もちろんフレデリックの我儘であることは言うまでもない。だがしかし、そのきっかけを作ったのは、何を隠そう真崎だった。  ちょうど、一週間ほど前のことだっただろうか。仕事を終えた辰巳が事務所を出ると、迎えに来ていたフレデリックが男と話し込んでいた。どこか見覚えのあるその顔が設楽の恋人であり、そして父親の恋人である雪人(ゆきひと)の私設秘書だということを思い出すのに、辰巳は数秒を要した。  だがしかし、何故そんな男とフレデリックが親しげに話しているのか。訝しむよりも先に嫌な予感が胸を過った辰巳である。  すぐさま辰巳の姿に気づいて駆け寄ってくるフレデリックの背後で、和服姿の真崎が小さく頭を下げる。それを一瞥し、抱きつこうとするフレデリックを辰巳は煙草で牽制した。  辰巳がフレデリックと真崎の関係を知ったのは、マンションへと向かう車中でのことだ。 『嫁会(よめかい)』  そう言ったフレデリックの言葉を辰巳は聞き返さずにはいられなかった。が、すぐさま聞き返したことを後悔したのは言うまでもない。ついでに言うならば、一生忘れはしないだろう。そのくらい衝撃的で、そしてくだらないと思わずにはいられなかった。  だがしかし、そのメンバーたるや錚々(そうそう)たるもので、フレデリックをはじめとして、もはや辰巳は周囲を固められているといっても過言ではない。いやむしろ、確実にネットワークが構築され、私生活のすべてが筒抜けになっているとみて間違いはなかった。  ともあれ呆れはしたものの知ったところでどうにか出来るはずもなく、”嫁会”とやらの繋がりでフレデリックと真崎が親しい中である事は辰巳にとってどうでもいい。問題は、フレデリックが真崎の和装に感化されたという事実の方である。  聞けば実家が呉服屋だという真崎に是非和服を見立てて欲しいと、フレデリックが言い出したのは言うまでもない事で。かくして辰巳は現在新幹線に乗っている。  時折り気遣わし気な視線を寄越す設楽は、言うなればただのとばっちりで同行を余儀なくされた。否、組の頭である辰巳が移動するのだから付き従うのは謂わば仕事の内ではあるが、さすがの設楽といえども幾分か気まずそうな雰囲気を浮かべているのは致し方のない事だったろうか。  お茶はともかくとしてベタベタと肩に張り付くフレデリックを腕で押し退けて、辰巳は席を立った。 「辰巳?」 「煙草」  幸い、喫煙ルームに人影はなかった。が、当たり前のようにくっついてきたフレデリックと並べば、通常は三人で使用するはずの喫煙ルームも当然狭い。思わず舌打ちを漏らす辰巳を気にする様子もないフレデリックを見れば、相当浮かれているに違いない。それが、辰巳にとっては何よりも厄介だった。 「僕と辰巳に似合うキモノがあるといいね」 「何だって急に着物なんて言い出しやがんだよてめぇは…」 「そろそろ僕もこっちに来て五年近いだろう? 日本文化というものを本格的に学ぶ時期かと思ってね」  にこにこと胡散臭い笑みを顔面に張りつけたフレデリックに、辰巳の口からは溜息と薄い紫煙が同時に零れ落ちた。 「日本文化ねぇ…」  ぼそりと呟く辰巳は、じろりとフレデリックを眺めた。陶器のように透ける肌に整った容姿。金色の髪と碧い瞳。人形は人形でもフランス人形か、果ては彫刻かといった風情の顔立ちをしたフレデリックに、どう考えても和装が似合うとは思えない。 「お前、自分のツラ分かって言ってんだろうな?」 「僕? もちろんだよ。なんだい、辰巳は僕に和装が似合わないとでも言うつもりかい?」 「どう考えたって似合わねぇだろうよ」  紫煙とともに吐き捨てる辰巳を、碧い瞳が睨む。不意に伸びた腕が辰巳の肩を引き寄せるだけで、辰巳は動けなくなった。  低いフレデリックの声が耳元に囁く。 「どうして今日はそんなに意地悪を言うのかな?」 「ああ? 今日に限った事じゃねぇだろぅが。離せよ」 「嫌だ…。キミが謝るまでこのままだよ」 「馬鹿。人がくんだろうが」 「だからほら、人に見られる前に素直に謝って?」  幾分か柔らかくなった口調とは裏腹に、相変わらず肩を抱いたフレデリックの腕は容赦なく辰巳を引き寄せたままだった。辰巳の唇から、諦めにも似た吐息が漏れる。 「あのなぁフレッド。別に俺ぁ似合わねぇからやめろって言うつもりはねぇんだよ。だが、正直なところお前に和服が似合うとは思えねえって言ってんだ。分かりきった嘘吐かれたくねぇなら手ぇ放せ」 「……狡い」 「ああ? おべっかでも似合うって言われてぇのか?」  辰巳が言えば、不意にフレデリックは小首を傾げた。 「おべっか…?」 「あー…、ご機嫌とりっつぅか、世辞っつぅか、そんな意味だ」 「嫌だ…」 「だったらさっさと腕離せ阿呆が」  軽く揺すられた辰巳の肩を、フレデリックは奇妙な呻き声をあげながら渋々と解放した。だが、その碧い瞳は恨みがましく辰巳を見つめたままだ。 「キミと和装でデートがしたいだけなのに…」  ぽそりと呟かれたフレデリックの声に、辰巳は苦笑を漏らすしかなかった。相変わらず突拍子もない事を思いつくものだと、そう思いはしても、嫌いになれないのだから仕方がない。否、フレデリックのそういうところが退屈とは無縁で気に入っている。  くしゃりと金色の髪を武骨な手で掻きまわして、辰巳は煙草を灰皿へと放り込んだ。 「ったく、お前はホント、ロクなこと言い出さねぇな」 「怒ってる?」 「怒ってたらここに居ねぇだろぅが」  行くぞと、そう言って喫煙ルームを出ようとした辰巳の腕をフレデリックが引く。 「待って」 「ああ?」  怪訝な顔つきで振り返った辰巳の唇を、フレデリックはすかさず奪った。  微かな水音をたてて離れた唇に、辰巳が溜息を吐き出す。 「お前なぁ」 「だって、キミが優しいからつい、ね」 「ついですぐに手を出すんじゃねぇよ」 「そこはほら、僕も男だからね」  フレデリックの台詞に、辰巳は怪訝そうな顔をして首を振った。  車内で駅弁を堪能した四人は、京都駅へと降り立つなりすぐさま真崎の実家へと向かうことにした。傍目にもわかるフレデリックの浮かれ具合に顔を顰める辰巳に設楽が苦笑を漏らす。  駅からほど近い場所に、その店はあった。使い込まれた暖簾の掛かった店先がいかにも老舗らしい雰囲気を漂わせている。 「こちらになります」 「素晴らしいね潤!」  それまでにも増してキラキラと目を輝かせたフレデリックが真崎の名を呼んだ瞬間、設楽の蟀谷がピクリと震えた気がしたのは気のせいではないだろう。  颯爽と暖簾をくぐるフレデリックと辰巳のあとを追おうとした真崎の腕を、設楽の大きな手が掴む。 「っ……尊…?」 「お前、下の名前で呼ばせてるのか」 「え…」  真崎の口から零れ落ちた小さな戸惑いの声に、設楽はふいと視線を逸らせた。 「まあいい、忘れろ」 「もしかして…やきもち…ですか?」 「分かってんならいちいち聞くな」  自分から呼び止めておきながらも、設楽は真崎を置き去りにして店の中へと入っていってしまう。ひとり取り残された真崎は、思わず歪んだ口許を片手で隠した。  都市部にありながらも広い店内は、奥の半分ほどが畳敷きになっていて、手前に色とりどりの反物や仕立てられた着物が品よく展示されていた。どこか嗅ぎ慣れない香りにすんと鼻を鳴らしたのはフレデリックである。 「うーん。なんというか、これぞ日本の香りだね」 「はぁ? なに言ってんだお前」  意味不明だと、そう言った辰巳のこのうえなく渋い顔を、フレデリックはさらりと無視した。あとから店に入ってきた設楽の背後にいる真崎へとフレデリックが向き直る。  二、三言スタッフと挨拶を交わした真崎が向き直るのを見計らって、フレデリックは真崎の肩へと手を乗せた。 「あぁ潤、とても良い店だね」 「ありがとうございます。そう言っていただけると、兄も喜ぶと思います」  店主である兄を呼んでくると、店の奥へと消えた真崎を見送る設楽の表情が僅かに曇る。それを、フレデリックは見逃さなかった。音もなく自分よりも大柄な日本人へと歩み寄る。 「ねぇ尊?」  ほんの数センチ上にある設楽の黒い瞳が陶器のように整った顔へと向けられることはなかった。 「なんでしょう」 「何か心配事でもあるのかな?」 「別に」  視線すら合わせずに短く応える設楽を横目に、フレデリックは小さく笑った。設楽に事情を聞かずとも、設楽の表情の意味をフレデリックは知っている。 「ですが」 「え?」 「その馴れ馴れしい呼び方はやめてもらえませんか」  きっぱりと告げられた言葉の意味を理解するまでにフレデリックは一瞬固まった。馴れ馴れしいなどと面と向かって言われたのは、初めてのことだ。  次の瞬間、店内にフレデリックの大きな笑い声が響き渡った。店内の全員の視線が背の高い外国人へと集中したことは言うまでもない。他に客の姿がないことだけが救いだろうか。 「うるせぇぞフレッド。なにをそんなにデカい声で笑ってやがる」 「いやぁ、尊に少し怒られちゃってね」 「ああ?」  辰巳の視線が設楽に向かうのは当然のことだった。 「何かあったのか」 「いえ。つまらない事ですんで」 「なんだそりゃ」  ますます怪訝な顔をする辰巳に小さく頭を下げる設楽をフレデリックが小さく笑う。 「僕に尊って呼ばれるのが、彼はあまり好きじゃないみたいだ」 「確かにな。気安く名前で呼ぶのなんてお前くらいだろうよ」 「まあ、他にも理由があると僕は思うけれど」 「理由が分かってんだったら本人が嫌がってっことわざわざするんじゃねぇよ。ホントお前性格歪んでんな」  吐き捨てるように辰巳が言い放ったのと、店の奥から真崎が一人の男を伴って現れたのは同時だった。
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