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空調の効きすぎた部屋は、今日も肌寒かった。
門脇奈緒子は、綿100%の薄手Vネックカーディガンを肩に引っ掛けた。
「奈緒子さん、バイタルワークの細田さんからお電話です」
最近入ったばかりの奈緒子より10歳以上は年上の長井が、眉間に皺を寄せながら向かい側の席から叫ぶように言う。
「はい、了解」
外線ボタンを押す
「お電話代わりました。門脇です」
出ると、受話器の向こうでは、奈緒子よりも若い細田が笑っていた。
「どうかしましたか?」
「いや、ちょっと。今、お電話に出られた方って、この間門脇さんが話してらした、新しい方ですか?」
「ええ」
「なるほど」
まだ笑っている。
「ーーーうちの長井が何か失礼なことを申し上げましたか?」
「いえいえ。滅相もない。ただ、『あ、門脇って奈緒子さんのことですね、それなら少しお待ちください』と」
苦笑して平謝りをしながら、自分が笑われているとは露ほども思わず、業者の電話リストを必死に見つめている彼女を横目で睨む。
もともとスーパーで総菜レーンを担当し、毎日コロッケを揚げていた彼女は、まともな電話対応もこの会社に来て初めてだと言っていた。
(何なの、その顔)
いつも緊張のせいか顔の変な筋肉が引き吊っている。
社長の「どんな人間にもチャンスをあげたい」という偽善的な中途採用のため、しわ寄せが来るのはいつもこちらなのだ。
ため息をつきながら受話器を置くと、
「奈緒子さん」
隣の席の男がキャスター式の椅子ごと身を寄せてきた。
「ソーシャルワークスの池田さんからまたプラテの注文入ったんですけど」
「電話切っちゃった?」
座っていても背の高い男を見上げる。
「あ、はい」
(しまった。大事な話があったのに)
「私が出たかったな」
思わず呟くと、男は困ったように笑った。
「すみません、奈緒子さん、電話中でしたので、僕が説明してしまいました」
「ーーーえ、なんて?」
「この時勢柄、プラスチック手袋などの医療品が世界的に在庫不足で、毎月単価が上がり、それでも必要数が確保できない状態だと。
もし事足りるならポリエステル手袋も代用品としてはオススメしておりまして、そちらですと、単価的にも、従来のプラスチック手袋ほどの値段で提供できますし、実際に移行している事業所さんも多くありますよ、と」
「—————」
奈緒子は口を開けて、入社して半年も経たない後輩を見上げた。
「参考までにサンプル品を5箱、準備して持っていきますと言っちゃいました。
もし契約となれば、ソーシャルワークスさんからの利益を考えれば十分、元とれるかな、と。
課長の許可とれなかったら、僕個人で買ってもいいんで」
「————いや、大丈夫。私から言っとくから」
そう言うと、男は爽やかな顔で笑った。
「やりっ。さすが奈緒子さんですね」
笑顔が眩しい。
奈緒子はまたキャスターを滑らせ、自分の定位置に戻っていった男を眺めた。
時崎篤志。
奈緒子より五つ年下だと言っていたから、今年で28になるはずだ。
前職はハウスメーカーの営業補佐をしていたとかで、電話でも来客でもそつなくこなせる。総務に置く人間としては少しもったいないくらいの人物だ。
たまにこういう仕事も気遣いもできる奴が入社してくることもあることにはある。
自分より30cmほど背が高い後輩を奈緒子は目を細めて見つめた。
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