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たとえばこんな10のキス
01 教室の隅っこで
02 夕焼けが見てる
03 道のど真ん中で
04 窓からのぞいたその顔に
05 公衆の面前で
06 水中で
07 雪の降る中で
08 びしょ濡れになって
09 覆いかぶさって
10 良い夢を
SCHALK. 様
http://schalk.xii.jp/
より 02番
02 夕焼けがみてる
「世界を滅ぼしたい……」
「不穏な思想が口からだだ漏れだぞ、多一」
人気のない教室に射し込む西陽が、多一の金の髪を燃えるように染めていた。
「水墨。いたんだ」
「いたんだ、かよ。珍しくつれねーな」
振り返った先にいた男子生徒は、不敵にくつくつと笑う。
漆黒の髪に澄んだ青眼。涼しげな目元に妖しげな色気が漂う美男子だ。
美しい麗しいと形容される多一とは、また違った魅力を持っている、ともだち。
「だってほら。すごい夕焼けなんだもの」
多一は窓へ向き直った。
水墨の黒い詰襟が映り込む向こうに、冬の夕焼けが赤々と燃えている。
「なるほど」
水墨は納得したようだった。
「『神々の黄昏』」
「そう」
多一は振り返って笑う。さすが水墨。
「バーカ。覚えたての言葉をやたらと使いたがるんじゃねーよ」
しかし水墨はニヤニヤして多一にデコピンした。
「いたいっ」
「それに黄昏ってのは、もっと黄色いやつだ」
「えー? でも夕焼けのことでしょう?」
ひりひりする額をさすりながら、多一は抗議する。
「ちげーよ。こういう色の天の事だろ?」
そう言って水墨は多一の髪を一房掴んだ。くすぐったくて身をよじる。
「まぁ、俺もよく知らねーけど」
「!」
ぬけぬけとそんなことを言ってのけて、水墨は相変わらずニヤニヤ笑いだ。
「知らないんじゃないか。水墨のうそつき。うそつきー」
「ほぉ、この俺様を嘘吐き呼ばわりか。命知らずな奴め」
「いのちしらずなやつめ?」
いのちしらず、なんて言葉が面白くて、多一はくすくす笑った。
「いのちしらずなやつめ。いのちしらずなやつめ」
「なんだよ。今度は『命知らず』が気に入ったのか?」
水墨も眼を細めてぽんと頭に手を置いてくる。またそれがくすぐったくて、多一はくすくす笑いが止められない。
「『命知らず』くらい知ってるもの」
「へーぇ? そうは見えねぇなぁ」
「知ってるもの」
口を尖らして言っても水墨は信じない。
「じゃあ使ってみな。なんか言ってみろよ、多一」
「使えるものー」
多一は水墨の瞳をじっと見た。
「この僕の名前を呼び捨てにするなんて、命知らずな奴め」
水墨は食えない笑みを浮かべたまま、多一の空色の眸を見返す。
多一は水墨の眼の中に自分の像が映り込んでいるのを見た。それはとても幸福なことのように思えた。
「だってお前名字ねーじゃん」
「そうだけど。水墨だけだもの」
水墨だけだ。
「水墨だけ」
水墨は笑った。
「そんなに呼んでほしけりゃいくらでも呼んでやるよ」
人気のない教室で、二人は名前を呼びあった。
「水墨」
「多一」
「水墨」
「多一」
「すいぼくぅ」
「はいはい。たーいちー」
水墨のよく通る声が自分の体の中もつんと通り抜けた気がして、多一はたまらなくなった。
「うー! 水墨ぅ!」
あまりにもたまらないので、思わず水墨の長身に抱きつく。彼の体に腕を回していると、どうしてだかいつも、とても甘い気分になる。
「水墨ぅ」
「多一」
上目遣いに見上げると、多一の青い眼がすぐそこにあった。内側から溶けていくような気がして、
「水墨」
キスがしたくなった。
「キスして」
「バカかおめー。こんな逢魔が刻に身なんか汚せるか」
半眼になってむげなく水墨は言った。
胸一杯に広がっていた真っ白な砂糖は、あっというまに砂漠の砂に変わった。
「え……。……? ……えーっ!」
予想外の返答に多一は目を丸くした。
「えーっ! やだ! ちゅーしてよ水墨!」
「ダメだ。夕焼けが見ている」
きりっとした水墨を多一は無視した。
「ちゅーしたいもの! 僕ちゅーしたい!」
「無視すんな。ダーメ、だ。夜になるまで我慢しろ」
「いやだよ! 今したい! ちゅーしたいちゅーしたいちゅーしたい!」
「ダメだっつーの」
水墨は一度ダメだと言ったら折れることはない。経験上それを多一は知っていたので、むーと頬を膨らませて水墨から腕を放した。
むくれたまま教室の床に転がる。
「まったく……どうしてこう陰陽の人は時間とか方角とかにうるさいんだろう。僕は興が削がれてしまったよ」
「だからって床に転がるのは何なんだ。つかお前、陰陽じゃなくて魔法って言えって何度言えば分かるんだよ」
水墨は半眼で、床に頬杖を突き足をぶらぶらしている多一を見下ろした。
「だって陰陽じゃあないかー。時間にうるさいし。そもそも呼び方なんてどっちでもいいもの」
「バッカ、お前、呼称は大事だぞ!」
今度は水墨が前のめりに主張する。
多一はおかえしにつんとして取り合わない。
「さして違わないじゃないか」
「違うに決まってんだろ、いいかお前。魔法の方がな、断然、カッコイイんだよ」
水墨は瞳をキラキラさせてしゃがみ込んできた。またいつもの講義だ。多一的にはもう耳にたこである。
「多一。よく聞けよ。魔法を使う人間は『魔法使い』なんだぞ」
「んー」
「ということは『魔法使い』たちの王は、だ」
「んー」
「んーじゃねぇ。聞け。というより言え。もう何回も話してんだから覚えただろ。『魔法使いたちの王』は? 多一」
「んー」
「多一」
あまりにも水墨が気合いを入れて訊いてくるので、つんとしようと決めていたのに、多一はつい応えてしまう。
「…………『魔王』」
「そう!」
がばりと水墨は立ち上がった。楽しげに拳を握りしめる。
「魔王! 魔王! カッコイイ! 魔王はカコイイ!」
かっこいいだろうか。
王のどの辺がそんなにいいのか、多一には全く分からなかった。しかしまぁ、水墨自身がそんなに気に入っているのなら、それでよいのだろう。
「…………いい、のかな」
多一にしては珍しくひとりごちて、窓を見るために身を起こす。
まだ窓の外は明るい。全くいつになったら夜になるのだ。早く口付けがほしいのに。
立ち上がり硝子に触れてみると、ハッカ飴のように指が冷えた。
「……『魔法使い』」
振り返って、笑む。
「水墨は、おうちのお仕事、好きなんだね」
「お前は家業気に入らねぇの?」
いつも自信満々に笑っている水墨。いまもその笑みを唇に湛えている。
「学校終わったら、おうちのお仕事するの」
「大学には行くけどな」
終わったら、を「卒業したら」だときちんと理解して、水墨は肩をすくめた。
「大学……」
「ここの、ひとつ上の学校だ」
「…………」
「気に入らないか」
黙った多一を見て、水墨が訊いてくる。多一は微笑みながら首を傾げる。たしかに、気に入らない。……の、かもしれない。
「僕は大学なんて行きたくないな」
「なら行かなきゃいい」
「そうじゃなくて」
首を振る。水墨の眼を見つめる。
「ずっと、ここでこうしてたい」
にこっと、多一は無邪気に笑った。
「ずっと、ずぅっと、水墨と同じ制服を着て、こんな風に、教室で遊んでいたいな」
水墨に近づいて、また抱きつく。ぎゅっといつもより腕に力を込めると、ふだんよりすごく水墨のそばに来た気がした。
「なんだよ、やっぱり珍しいな。ずいぶん辛気くさいこと言うじゃねーか」
「だって楽しいんだもの。どうしてだか分からないけれど、水墨と教室にいるの、すっごく楽しいんだもの」
多一は咲きこぼれるように笑った。
「だからずっとこうしていたい。僕、ずっとここにいたいな」
「まぁ……そうだな。お前が真実にそう望むなら、出来ないこともないんだろうが」
水墨は多一の頭を撫でた。その顔には皮肉気に変わった笑みが浮かんでいる。
「でもその代わり、名字つきで降とされるぞ」
「そんなことどうでもいいよ」
「どうでもいいか! ははっ、あっさり言いやがって。お前、継承権欲しくて血眼になってるやつ山程いるんだぜ」
愉快そうにくつくつ水墨は笑った。水墨の笑いがくすぐったくて多一もくすくす笑う。
「でも俺はつきあわないからな。こんなところ、3年もよくもったと思う位だ」
「うん。知ってるよ」
知っている。水墨の言葉にも多一は微笑んだ。
水墨は誰のものにもならない。強くて強くて、何者にも縛ることができない。自由なのだ。
水墨を手に入れることすらできない『権力』など、一体なんだというのだ、と多一は思うのだ。
「だからね、世界を滅ぼしたいねって」
「なに?」
まだ頭を撫でてくる水墨に向かって、多一は得意げに言った。
「世界を滅ぼしたら、降下できるなって。夕焼け見てたら思ったの」
「はははっ! お前なんでそこまでやる必要があるんだよ! 迷惑すぎるだろ!」
水墨はげらげら笑った。
「えぇ? そうかな」
「そうだ。世界滅ぼしたら、そもそも降りる場所すらなくなっちまうじゃねぇか。なんかこう、ちょっとした革命くらいにしておけ」
「えー」
自信があった台詞が受け入れられず、多一は不満の声をあげた。
「だって……、せっかく夕焼けを見て思いついたのに」
「あー、そうか、そういうことか」
水墨はまだげらげら笑いながら言った。
「分かったぞ、さてはお前『黄昏て』たのか。 へーえ、お前でも感傷にひたったりするんだなぁ」
涼しい目元で水墨はこちらを見てくる。
「たそがれて?」
それは多一の知らない言葉だったが、まだくっくっくと笑っている水墨を見ていると、どうも失礼な言葉のような気がする。多一はむくれて水墨に訊いた。
「なぁに水墨。『黄昏る』ってなぁに」
「そのままの意味だ」
「分からないよ、説明して」
「ま、そのうちな」
「いや。今がいい。いませつめいし……」
多一がまだごねようと口を開いたところで、突然水墨が動いた。顎に片手をかけて多一を上向かせ、そのまま唇を重ねる。
開きかけの口から熱い舌が入り込んだ。
「…………!」
多一は驚いて目を見開いたが、その甘さに、水墨の味に、すぐ瞳を閉じ、されるがままにまかせる。
「は……」
長くて深いキスだった。
離れた後、とろんとした眸で多一は溜息をひとつ吐くと、腕を回したまま水墨を見上げる。
「まだ、夕焼けが見てるよ?」
窓硝子はほんのりと赤い。夜の帳は降りてはいなかった。
「『黄昏』れ記念。でおまけだ」
しかし水墨はニヤリと笑って平然と言ってのける。
多一はびっくりした。さっきはあんなに頑なにしてくれなかったのに。どうしてこの男は、こんなに気まぐれなんだろう。
そしてすぐに笑いがこみ上げてくる。
「ふふふっ、何それ、変だよ。あははっ」
「俺様に向かって変とは。命知らずな奴め」
「だって変だもの。水墨へんなの。あはははっ」
多一はくすくす、水墨はニヤニヤ笑い、二人はそのままもう一度口付けると、夕闇溜まる教室の床へ重なりあっていった。
卒業式が近づいていた。
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