1.春ですが恋は始まりません

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春、 と言っても朝夕の寒さは未だ残るが、木々には春色の芽吹きが感じられる、そんな三月末日のこと。 子ども向けの木製おもちゃを取り扱う会社であるここは『ムクモク』。木のぬくもりで笑顔を――というコンセプトのもと、木製おもちゃ作家でもある社長が興した小さな会社だ。 その会社の狭いフロアの一画で、私はせっせと手を動かしていた。 年度末の処理や決算をあらかた終わらせた私は、荷物や書類がわんさか置かれた右隣の席を綺麗に片付ける。ここは四月から来る新入社員のデスクとなる予定。 どんな子が来るかは名前くらいは教えて貰っているけど、仲良く出来ればいいなあ、と今からウキウキする。 この時期、もしかしたら私は毎年ウキウキしているかもしれない。 昨年だって――と考えながら、ちょうど一年前に入社した目の前の男の子を見る。 片付けている席の向かいに座る営業の松岡(まつおか)くん。いつも礼儀正しくて気遣いの出来るとてもいい子だ。 私がそうやって見ていたからだろうか、 松岡くんがパソコンから視線を上げたので、ばっちり目が合ってしまう。仕事の邪魔をしてしまったなと、申し訳なく思っていると、 「あの、お手伝いしましょうか?」 「いいよ、いいよ、私片付け(これ)が終わったら帰れるから、松岡くんは自分の仕事して?」 「でも、そのファイル重いですし、僕が片付けてきますよ」 そんな、そんな申し訳ない――なんて思っている内に松岡くんは立ち上がって分厚いファイルを三つ重ねて、後ろにある書類棚のそれぞれの場所に返してくれる。 私も残る一つを手に松岡くんの隣に並ぶと、松岡くんは私の手にあるファイルを取って、上段に収めてくれた。 「ありがとう、助かった!」 そう言って、頭一つ分高い位置にある松岡くんの顔を見上げて微笑むと、松岡くんも爽やかな笑顔で、「いいえ、このくらい任せてください」と言いデスクに戻って行った。 新人、なんて思っていたけど、いつの間にか頼り甲斐のある子に育ってくれているのが嬉しい――と、どこか親目線な感じでその背を見ていた。
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