Side Girl

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Side Girl

 幼いころ、優秀な姉と要領のいい妹に挟まれて毎日が窮屈だった私を、兄が連れ出してくれた。免許を取って1年、俺のタンデム第一号になってよ、と笑いながら。恋人じゃなく幼稚園児の妹が第一号? ださ過ぎ! て、憎まれ口をきいたけど、本当はすごく嬉しかった。誰もこんな風に私を特別扱いすることは無かったから。  海に行った。バイクで20分ちょっとの人工の浜辺に。近場でごめん、と言われたけど、全然構わなかった。4月の浜辺には誰もいない。次々と寄せてくる波が夕陽に輝く。さざ波だよ、ってお兄ちゃまが言った。沈む太陽がとても大きく見えた。  「海、初めて見た。広いのね」  「うん。この海の先にはたくさんの国があって、様々な人と暮らしがある」  「ふぅん?」  知らなかった、家族と幼稚園が私の世界のすべてだからね。そう言うと、世界のすべて、ね、お兄ちゃまは少し笑って、そう、世界は広い、お前に合う世界も、きっとある、と言った。そう話している間中、バイクをそっと撫でていた。  「…お兄ちゃま、本当にバイクが好きよね。名前に車って字が入ってるせい?」  そう言うと、驚いた顔をされた。  「え? ああ、ちょっと違うけど、確かにそうか」  「違うの?」  「俺の名前の『(れん)』にある車は、連っていう字の一部。車は関係ないんだ」  「関係ないの…」  「でも、お前すごいな。5歳なのに漢字がわかるんだ?」  「まあね」  しょんぼりした気分が浮上する。本当は、わかるのはお兄ちゃまの名前の形だけだけど、それは秘密にした。  帰ろう、促されてバイクをふと見た時、私は思わず声を上げた。  「さざなみ!」  「え?」  「これ! 3373。さざなみって読めない?」  「ナンバープレート? ほんとだ、おい、大発見じゃん!」  「別に! 3374じゃなくてよかったね。それだと耳なしだもんね」  早口で言って、ヘルメットを被った。紅くなる頬を見られないように。  「確かに、3373がいいな。俺の名前にも関係あるし。じゃあ、このナンバーは、バイクを変えても引き継がないと。このバイクは、さざなみ1号。で、うめが、タンデム第一号」  「さざなみ、1号?」  変な呼び方、と思ったけど、なんとなく気に入った。         ***  その夏、お兄ちゃまが消えた。世界は広い。でもそのどこにも、もう、いない。私のせい。さざなみ1号は、どこかに引き取られた。ちゃんと手入れして長く使うと、約束してくれた人の元へ。         ***  再びさざなみ1号を見たのは、あれから9年経った5月の末。図書館の駐車場に置かれたよく似たバイク、ナンバープレートは、3373! ハンドルに触れてみる。ドキドキした。  離れた場所で、持ち主が現れるのを待つ。ほどなくして現れた彼は、お姉ちゃまの学校のバッグを持っていた。  「衣替え、冬服はクリーニングに出さなくちゃね」  お姉ちゃまがそう言って畳んだ制服を内緒で持ち出した。この制服姿なら、私が中学生であるとバレずに、さざなみ1号の持ち主に近づけると思ったから。  図書館に通い詰めて、ある日ついに持ち主と話をした。乗せてと頼んだけど断られた。当然かな。でも、完全な不審者扱い。失礼しちゃう。諦めずに何度もお願いした。来年4月に、このタイプのバイクは使えなくなるから。  そして8月半ば、ようやく彼がOKしてくれた。よかった、冬服の私は噂になっていたみたいで、これ以上は無理と思っていた時だったから。         ***  8月30日。バイクから降りた私は、あの浜辺を見下ろしていた。9年と4ヵ月前、私は、お兄ちゃまとここにいた。  あの時の2人は、どこに行ってしまったの?  シャッターを切る。何度も、何度も。小さな波がきらきら押し寄せている。あの日と同じ。さざなみ1号の新しい持ち主は、ずっと黙っていてくれた。  帰り道、私は心の中でずっと、さざなみ1号に語りかけていた。  …こんな風に無機物に心の中で語りかけている私は、どこかおかしいのかもね。でもね、さざなみ1号、物に心が無いのかあるのか、誰が知っているの?  すべての生物は、無機物からできた。人は、いつから心を持ったの? 動物には心が無いと言う人がいるけど、本当に? 植物は?  誰にもわからないじゃない?  死んだ人が、目には見えないから、だからどこにもいない、とは限らないんじゃない?  ねえ、本当はそこにいるの? お兄ちゃま―。
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