はしっこのピンク色

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「暑いね」  約束当日の土曜日、ネイビーのハンディ扇風機を片手に、ほんちゃんはやってきた。約束の十分後。 「遅くなっちゃってごめんね、しーちゃん」私の名前が栞だから、頭文字をとって、しーちゃん。高校生のときは、友達のほぼ全員にそう呼ばれた。「いいよ、私も遅れそうで焦ってたから、ちょうどよかった」これは本当だ。久しぶりに会うというのに、遅れてしまったら示しがつかないと思ったから。 「お昼ごはんゆっくり食べすぎちゃったの」大袈裟に照れ笑いをする。 「あ、お昼食べちゃった? 今日、一緒に行きたいカフェがあるんだけど」 「い、いや、大丈夫、行こう、行こう。そんなにいっぱい食べたわけじゃないから、十五時くらいとか、おやつの時間とかなら、大丈夫。どこのカフェ?」 「最近新しく出来たとこ。一か月前につぶれちゃった、あのとんかつ屋さんの場所」  ほんちゃんは、私に少し近づいて、スマホの地図アプリを見せてくれる。それがあまりにもいきなりで、びっくりして後ずさりしそうになったのを、ぐっとこらえる。肩に力を入れて、そーっとスマホを覗き込む。 「近くだね」 「うん。だから、ちょうどいいかなって。とりあえず、お店入ろう。暑くて溶けそう……ちょっとぶらぶらして、疲れたら、カフェに行こう」 「うん、そうしよう」  私達が集合したこの駅は、なかなか大きなショッピングモールと繋がっている。私たちが中学生のときに新しくできた。私もほんちゃんも高校からは自転車で通っていて、お互いここが最寄り駅だ。とはいえ、家は逆方向なのであまり近くはない。 「本当に暑いね。今日、最高三十五度だって。外で歩いてるだけで、体調が悪くなりそう」 「最近暑すぎて、あんまり外でてないや。お出かけするの、久しぶり」 「あれ、しーちゃんはもう夏休み入ったのか。いつから?」 「先週試験が終わって、今週から」 「そっか、いいなあ。私はもうちょっと続きそう。期末課題が終わらない」 「へえ、どんな課題? レポート?」 「彫刻」 「え、ちょ、彫刻?」  彫刻って、あの彫刻? ナイフみたいなので木をごりごり削るやつだろうか。私は予想外の回答に、目をまんまるにして驚いてしまった。 「そ、そんな課題が出るの?」 「出る出る。私、美大行ってるんだ」  知らなかった。ほんちゃんは、高校の時から芸術家肌というか、自分の世界が確立されている雰囲気があったけれど、美大に行くまで本格的だったんだ。そういえば高校の時、ほんちゃんは美術選択だった。私は、無難に、書道選択。絵も歌も、実は書道も、好きじゃないし、得意じゃない。 「知らなかった……すごいね」 「たまたま好きなことがあって、それを学べる大学があっただけだよ」 「でも、すごい……かっこいい。普段は、大学でどんなことしてるの?」 「うーん、今は一年生だから、デッサンが多いかな。基本的なやつ。みんな絵が上手くて、参っちゃうな、本当。私なりに頑張ってるんだけど」  かっこいい。かっこいいな、ほんちゃんは本当にかっこいい。いいな、羨ましい。私にもこんな才能があればなあ。私には何があるんだろう? ほんちゃんはこんなに絵が好きで、かっこよくて、洗練された雰囲気があって、好きなことを頑張っている。それに比べて私は、なんとなく大学に進んで、なんとなく勉強して……なにをしているんだろう? 「すごいね、愛ちゃん、今度、描いた絵が見てみたいなあ……」  当たり障りのないことを言いながら、あれ、ほんちゃんって呼べないな、と思った。昔とは違うから。子供で、ただみんなと同じことをしていればよかった高校の頃とは違う。大学生になったら、みんな大人になって、自分の好きなこととかを見つけて、自立していってしまう。そうして個性を得ていく。同調から、独立へ、私はそれに遅れ続ける。みんな変わらないままでいてくれたらいいのに、なんて思う。自分が価値の低い存在だと感じる。ほんちゃんを傷つけないように、ほんちゃんにとって嫌なことを決して言わないように。自分が勝手に張った有刺鉄線を避けながら、小鹿みたいにちっちゃくなって、俯く。引っかかったら、たちまち電流が流れて、死んでしまう。  ほんちゃんは私を見て、なんだか不思議そうにした。それから、ぎゅっと私の手を握った。 「ここの二階に、お気に入りの画材屋さんがあるんだ。ついてきてくれる? そのあと、カフェで美味しいもの食べよう。かき氷やってるんだって。こんな大きいの。ね」  私を繋いでいないほうの手で、ぐるりと円を描きながら、ほんちゃんは美しく微笑む。ああ、ほんちゃんは、大人だな。……それに比べて、いつまでも私は子供なのだ。 「うん、もちろん。行ってみたい。ありがとう、愛ちゃん」  この言葉を、上手く言えたかどうかばかり、気にしている。そうだ私は、自分を良く見せることばかりに必死で、目の前のほんちゃんのことを全然考えないんだ。その事実を認識できるのに、直そうとしない、進歩のない自分に、余計胸がちくちくする。  
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