はしっこのピンク色

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 その画材屋さんは、二階の隅の方にあった。オーガニックコスメのお店や、海外のお菓子のお店。私が普段行かないようなお店ばかりで、足がふわふわと浮くような感覚がした。ほんちゃんのようなおしゃれな子と一緒だから、大丈夫。それとも、余計私が浮いてしまうかな。その二つを、曖昧に、同時に考えた。 「欲しいものがないのに、寄っちゃうんだよね」  きれいな色鉛筆を次々手にとって、宝物を見つめるようにする。こんなにたくさんの色があると、わくわくしちゃわない? しーちゃんもそう思うよね。そう言うわりに、ほんちゃんは私のほうを全く向かず、色鉛筆に釘付けだ。そんな態度の裏にある優しさを、認識できるから、ちょっと苦しい。これが「冷たいひと」に見えたならどれだけ楽だろうか。人生楽に生きるには、ものすごく賢くなるか、ものすごく馬鹿になるかしかない。最近本当にそう思う。両極端。地球を真っ直ぐに、真っ直ぐに均したとき、その端っこのどちらかにいなければならないのだ。私にはどっちも無理だな、とも思う。 「私ね、ずっと黒が好きだったの」  ぽつりと、ほんちゃんはそう言った。 「え?」 「真っ黒。三原色を均等に混ぜた、他の何色でもない、黒」  そういえば、ほんちゃんは、よく制服の上に黒いカーディガンを着ていた。黒のイメージが確かにあった。洗練されて、浮き沈みのない、ただ、黒。 「黒で服装を引き締めたら、なんだか手軽に大人になれるような、そんな雰囲気が好き。私は、手っ取り早く大人になりたかった」  嘘だ。ほんちゃんが? 大人になりたかった? 初めてほんちゃんを見たあの日から、ほんちゃんは大人だったじゃない。 「でも、最近は、グレーが好きなの。白と、黒を混ぜた、グレー」ほんちゃんは、白と黒の色鉛筆を私に見せる。「真っ白である必要はない。真っ黒にして誤魔化さなくていい。その代わり、白と黒を、私が好きなように持ってきて、好きな量、回数、時間だけ、ぐるぐる混ぜる」  私の白と、私の黒。私のいいところと、悪いところ。私の好きなことと、嫌いなこと。どちらが白で、どちらが黒……なんてそう決める必要はない。混ぜていったら私そのものになるように、感覚で、少しずつ足したり引いたりしながら。つくっていくの、私自身を。 「そうやって、自分の好きな自分を、決めつけちゃっていいと思うんだ」  ほんちゃんは、持っていた色鉛筆をもとの場所に戻す。鉛筆の先を、さらりと撫でる。 「ね、もうカフェに行こう。しーちゃんのこと、もっと教えて」  そんなことを言ってくれる人が今までいただろうか。その言葉に、涙が出てしまって、慌てて拭おうとする。しかし、涙でぼやけるほんちゃんの笑顔が、あまりに綺麗で、そこに美しいグレーがあると思ったから、そのままにした。ほんちゃんは、そんな私を見て微笑んでから、また私の手をとった。 「すぐそこ! ほら、見て、これ! すごくおいしそう」  小走りでカフェの方に向かっていく。お店の看板を指さしてはしゃぐ。そんなほんちゃんは確かに子供で、可愛らしい。黒で着飾って、無理やり大人の真似をしているより、今みたいに曖昧なグレーを見せてくれる方が、ほんちゃんのことがよくわかる。 「わあ、本当だ! このいちごのかき氷、すごいね、ほんちゃん! 練乳に、白玉に、あずきも乗ってるよ。すごく豪華。私、これ食べたい」そうだ、これでいいんだ。好きなもの、食べたいものを、隣にいる人に素直に言える私が、いいんだ。そう思っていると、いつの間にか涙は引っ込んでしまった。 「それいいね! しーちゃんらしい。そうだなあ、私は、これがいいかな」 「黒ゴマかき氷?」  グレーのかき氷に、黒ゴマアイスと、たくさんのベリーと、パンナコッタが乗っている。これも豪華で、とても綺麗だ。 「……私、形から入るタイプなんだ」  恥ずかしそうに、ほんちゃんはそう言った。もう、ほんちゃんやだあ、なんて言いながら、二人でひとしきり笑う。  ウォルナットの家具で統一された店内は落ち着いていて、おしゃれだ。結構混んでいるけれど、四人掛けのソファ席に通された。広いし、座り心地がとてもいい。ラッキーだね、と言いあった。さっき言いあったとおりのメニューを注文して、出されたお冷をちょびちょび飲む。店内のライトが控えめで、なんだか、さっきよりも話しやすい。 「ねえ、ほんちゃん、私にはどんな色が似合うかなあ」  ふとそんなことを聞いてみた。ほんちゃんなら答えを知っていると思ったから。 「うーん、思い当たる色はいくつかあるなあ。でも、確信がないや」 「どんな色、どんな色? いっぱい教えて」 「うーん、いや、かき氷がくるまで、ちょっと待って。そうしたら、きっとピンとくる!」  そうほんちゃんが言っていると、ちょうど店員さんが席まで来てくれた。いちご氷スペシャルのお客様。あ、はい。そう受け答えしながら、目線はかき氷に夢中だ。大きな透明の器に、たくさんのトッピングで着飾って堂々としている、ピンクのかき氷。かわいい。かわいい! 黒ゴマ氷のお客様。ほんちゃんが小さく手を上げる。貴族の手の振り方みたいに優雅だ。ほんちゃんの目の前に置かれたそのかき氷は、クールで、涼しげだけど、こっそり隠れるトッピングが女の子らしくて、まるでほんちゃんみたいだ。 「すごい、すごい。写真撮るね!」ついついはしゃいでしまう。私も、とほんちゃんも写真を一枚。その出来栄えを見て満足そうにすると、ほんちゃんは、「一緒に撮ろ」と言う。きょとんとする私をよそに、パシャリと写真を撮ってしまう。 「待って、待って。今ぜったい、変な顔してたよ。ちょっと、見せて」「いやだよ。私の写真。ふふ、可愛く撮れてる」「ちょっと、やだ、もう」そんなやりとりが、かき氷と同じくらい、ハッピーで、楽しい。 「よし、食べよう。もう待ちきれない」  おしゃれなスプーンで、かき氷をすくった。大きく、一口。きーんと冷たい。んー、冷たい、でも、おいしい! そう言って、ばくばく食べ進める。 「今のしーちゃん、今日一かわいい」  かき氷をスプーンでくしゃくしゃ崩しながら、ほんちゃんは呟いた。照れ臭いけど、ありがとう、嬉しいと返した。これが正解。二人とも嬉しい、幸せな言葉。 「私に似合う色、ぴんときた?」 「きたかも。ねえ、これを食べ終わったら、ちょっと家に来ない? ここからそこまで遠くないから。地下鉄で二駅」  かわいい発言の次は、家に来て、って……どんどん顔が熱くなるのがわかる。いちごおかき氷と変わらない色味かもしれない。 「一人暮らししてるの?」 「そうそう、進学を機に」 「そっか、実家暮らしだと思って、集合場所決めちゃったね」 「いいよ、近いんだってば。それで、家、来てくれる?」  なんとなく回り道をしようとする私の腕を、ぐっと掴むようなほんちゃんの目線。これだ、私はほんちゃんのこの目線が、大人っぽい、かっこいいものだと思ったんだ。高校のときに見たそれは、今よりもっと不自然だっただろうか。ほんちゃんも、高校から今まで、ちょっとずつ大人になったのだろう。 「うん。行く。はやく食べちゃおう」  照れ隠しに、一生懸命かき氷をかきこむ。そんな私の気持ちを察したようににこにこ笑う。私たち二人のリズムが、そこに生まれたような気がした。ほんちゃんも心なしか、さっきより食べるスピードを速めていたと思う。  
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