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電車と徒歩で、合計二十分くらいかかった。そのアパートは、小さいけれど、築二年とのことで、清潔な印象だ。四部屋しかないお部屋は、ひとつを大家さんの娘さん(私たちと同い年だそうだ)が使用している。残り三部屋に、ほんちゃんと、大学生と、OLさんとが住んでいるという。すれ違ったとき挨拶する程度だけど、皆さんとても良い人だよ、とほんちゃんはにっこり笑った。気持ちいい挨拶が出来る人と過ごしたいな、と私が言うと、ほんちゃんはとても嬉しそうにした。
「入って、入って。結構綺麗にしてるでしょ」
本人が言う通り、一人暮らしにしては少し広めの部屋は、おしゃれで綺麗だ。空間を大切にしているというか、物を置き過ぎず、ゆとりがある。さすがほんちゃんだ。
「はい、ここ、座って」
一人掛けのシンプルなソファ。足が高くて掃除しやすいんだ、とほんちゃんは笑う。あはりがとう、と浅めに腰かける私を後目に、ほんちゃんは小さなキャンバスを準備した。はがきサイズ、くらいだろうか。
「そこに、じっと座っててね」
ほんちゃんはそのあと、水彩絵の具でキャンバスにたくさんの色を塗り、私をじっと見つめるのを繰り返した。少し照れくさくて、スマホをいじって誤魔化そうかと何度も考えたが、ほんちゃんの真剣な眼差しを目の前に、そんなことはできないな、と思い直した。ほんちゃんから絵に対する信念や情熱を聞いたことがないのに、今こうしてその姿を見ているだけで、なんとなく伝わってくる。ほんちゃんが今までの人生で塗り重ねてきた白と黒。それはどんどんほんちゃんの理想のグレーに近づくけれど、きっとその中心には、確かな情熱の赤い炎が存在していると思う。ほんちゃんの気持ちの中に、赤色が絶えず光るよう、私はこっそり祈った。
「はい、できたよ。見てみて」
一時間弱経っただろうか。私はほんちゃんを見つめていただけなのに、なんだかあっという間だった。ほんちゃんの絵を愛する気持ちが、炎になって、私の時間を熱く燃やしてしまったのだ。
そうやって差し出されたキャンバスを見ると、たくさんの色が、何度も何度も塗り重ねられて、ぼやけた色同士が、綺麗なグラデーションになっていた。オレンジ、黄色、赤、黄緑。パステルカラーが多く、可愛らしい。ほんちゃんが、私をイメージして、こんな可愛らしい色を重ねてくれたんだと思うと、こそばゆくて、でも、幸せだ。
「すごく、綺麗。かわいいね……」
「ありがとう。しーちゃんのことをずっと、考えて描いた。なんだか、夢みたいな時間だった。いつもはああここを直さなきゃ、次はああしてこうして、みたいに色々悩みながら描くんだけどね。さっきまでは、本当に、しーちゃんのことだけ考えて描いた。楽しかった。ありがとう、しーちゃん」
お礼を言いたいのはこっちなのに、一生懸命自分の思ったことを言葉にして、伝えようとしてくれるほんちゃんが愛おしくて、ふふ、と笑ってしまった。ちょっとなんで笑うの、と照れ臭そうにする姿を、もう黒で誤魔化す必要はない。
「ねえ、ほんちゃん、ありがとう。私、お気に入りの色見つけちゃった」
「え、本当に? 教えて」
小さなキャンバスのはしっこで、ひときわキラキラと光るピンク色。さっき食べたいちごのかき氷と、同じ色。可愛くて、女の子らしくて、見ていると心がぽかぽかする。私との思い出を考えながら、ほんちゃんが塗ってくれた色。これが、私のお気に入り。夏のある日、久しぶりに会ったお友達と一緒に食べた、甘くて冷たい、いちごのかき氷の、ピンク色。
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