見えるのに、見えない

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 夏特有の猛暑は勢いを弱め、セミの鳴き声が涼しげな鈴虫の音色に変わり始めたころ。 私は、高校生活最後の夏を終えようとしている現実に、堪えがたい焦燥を感じていた。 結局、青春らしいことなんて、何一つできなかった_ 夏の宵に漂う生暖かく心を包み込むような空気は、焦燥感の原因でもある苦い後悔の過去を思い起こさせる。 高校生になったら熱い思いがぶつかり合う友情物語や、甘酸っぱい恋愛ドラマが展開されるのかもしれないと妄想していたものの、それらは全て淡い幻想に終った。 今だってこうして、予備校で大学の受験勉強を終えトボトボと家に向かっているのだ。 昼間は鬱陶しいほどの光もって地上を照らしていた太陽もとっくに沈み、都会のただ暗く抑揚のない夜空が広がっている。 無論、星なんて一つもない。星の小さな光は、この町の空っぽな光にかき消されてしまうのだ。 年を追うごとに、街が発展するごとに星の光は消え、終いにはなんの面白みもない黒一色に染まってしまった。私はその星を殺した街灯に照らされながら、背中を丸め力なさげに歩いている。 もう私に青春の兆しはないのだろうか_ いや、私はまだ高校生だ。まだ終ってない。 まだ何か、もしかしたら何かあるのかもしれない......! 焦燥感と不安で張り裂けそうな胸に手を当て、夜空を見上げた。 まさにその時だった。 ドーーーーーーーーン 聞き覚えのある炸裂音があたり一帯に鳴り響いた。 花火だ、花火の音だ。 聞こえただけで夏の雰囲気を感じさせるその音は、私にも夏の夜空に咲く威風堂々たるあの花を連想させた。 そう、いとも簡単に、かつとても鮮明に思い浮かべることはできたのだ。 だが、ハッキリと脳裏に浮かべたそれを、実際に見ることは叶わなかった。 ドーーーーーーーーン 花火の音は一定間隔で鳴り響いているようだ。 しかし、夜空を眺めても抑揚のない黒色が広がっているだけ。 なぜ見えないのだろうか、周りの遮蔽物に隠れているのだろうか。 私は歩道の中央で空を見上げながらくるりと回転した。 ドーーーーーーーーン なおも鳴り続ける花火の音に、私はその音の下に求めてる青春があるのではないかと感じ始めていた。 そして、気が付いたときには、私は何処からともなく聞こえるその音に引き寄せられ、自然と音の正体をこの目に収めようと動き出していた。 その音は、昔5時になると聞こえてくる時報を聞いていた時のような音源がどこに位置しているのか全く分からないもので、手あたり次第にこちらから聞こえていると感じる方へ向かった。 歩いている最中、私はあることに気が付いた。 先ほどまで感じていた無気力がまるで嘘のように、体の芯は微細に揺れ全身に力がみなぎっているのだ。 人が呼吸をするように、花火のもとへ欲動している。 今なら青春を手に入れることが出来ると言っている! 自然と足に力が入り、歩きというよりは小走りに、気が付いたら私は走っていた。 何を必死になっているのだろうか、花火のもとへ着いたとしてもそこに青春があるかなんて分からない。 それなのに、どうしてだろう。そんなことを考えながら数分間走り続けたところで、私はある不可解なことに気が付いた。 花火が全く見えない_ 思い至って走り始めてから数分間、花火の欠片すら見えないのだ。 流石におかしいだろう。 ドーーーーーーーーン 花火の音は相も変わらず一定の間隔で鳴り続けている。 息遣いが荒くなり、体力の消耗を感じる。 息苦しく膝に手をつき、道路に立ち往生した。 よく考えれば、いつもそうだった。 様々なことに希望や憧れを抱き、色々と想像する。 その段階ではくっきりと鮮明に自分の活躍している姿が見えているにもかかわらず、いざ実現させようと足を踏み入れるとそれはとてつもなく長い道のりに感じて、努力が足りず挫折してしまう。 私は苦い思い出を想起するとともに、あることを理解した。 今が正念場なのだ。 今を乗り切るか否かで今後の将来私がどれだけ努力できるのか決まるのだ。 私はあの花火を見つけなければならない。 もう十分に憧れた、あとは踏ん張るだけだ! 私の体は再び躍動した。 先程に比べより一層走った。 そうだ、あの丘の上からなら町全体が見渡せる。 そうしたら必ず花火だって見えるはずだ。 丘へ向かう坂道を全力で駆け上がった。 路地でいちゃついているカップルも、街灯の下でうなだれている酔っぱらいも、犬の散歩をしているおじいさんも気にしない。 私の眼中にはあの丘を目指すことしかなかった。 無我夢中で坂道を登りきると、今度は丘の展望デッキへ続く階段を駆け上がっていく。 ハァハァハァ、流石に体力の限界なのだろうか、中腹のあたりで勢いが衰えてきた。 ドーーーーーーーン その音を聞いてここで止まってはいけないと直感した。 今は走らなければ! そう思いあと一息、全力で階段を駆け上がる。 そしてようやく、丘の上へたどり着いた。 意識が途切れそうになりながらも、展望デッキの柵にしがみつき、やっとの思いで空を見上げる。 やっとだ、私は自分の力で実現させたんだ!だが、そう思ったのもつかの間。空には抑揚のない黒色と芯に響く炸裂音だけが鳴り響いている。 ドーーーーーーーン 全身が無気力に揺らぎ、地面に尻もちをついた。 ただ黒く、どこまでも続く空を見上げ、すっと涙をこぼした。
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