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優斗は死後一度だけ現世を見た。死者一人一人に配られる掌サイズの水鏡。それで現世を見ることができるのだ。やはり期待はあった。残した者たちが後悔して、悲しみ、優斗に懺悔してくれていたならば。
水鏡の向こうで――家族はとっても幸せになっていた。
家事をしていた優斗がいなくなって、母親は実家に飛べなくなった。息子が自殺したという世間体を恐れた父は、学校でいじめがあったからだとマスコミに広めた。そうすると同情が集まって、妹はなにもしなくても周りからちやほや。
世間の目も集まってきて、家族はいじめで長男を亡くした可哀想な一家を演じなければならなくなった。演じ続ければそれが現実になる。水鏡に映ったのはとても理想的な、寄り添い協力し合う当たり前の家族の姿だった。水鏡は割って捨てた。
ボートはどんどん流されていく。五月が骸骨を召喚して亡者を蹴散らしても、その流れは止まらない。今度はボートの両側…海中から巨大な黒い腕が生えてきて、五月の骸骨を掴む。みしっと軋む音一つ、骸骨はあっという間にばらばらに砕けた。
優斗は目を凝らす、海中のずっと深い所から巨大な目玉が二つ、こちらを見据えていた。人型の真っ黒い影の頭部にそれは生えている。全長は五月の骸骨の倍以上あるだろうか。
「海入道」
ぽつ、と五月が呟く。
「なんすか、それ」
「正体不明の海の怪異よ。気が向いたら歌川国芳の絵とか見てみて」
海入道の手が今度は海上のボートを掴む。まるで乗る者の恐怖を煽るように全体を揺らした。妹が海に落ちそうになり、母が咄嗟にしがみつく。ボートを掴む手は見えないはずだが父がオールで海面を叩いている。
五月が急いだせいで仲間たちはまだ追いついていない。このままでは優斗の家族は海に沈んで死ぬだろう。死ぬ、優斗を苦しめた家族が死ぬ。
亡者に殺された亡者はどうなるのだろう。この世を彷徨う亡者の仲間入りか、あるいはあの世までやってくるのか。
優斗の中から湧き出て来たのは、暴力的なまでの衝動だった。忌避だった、拒絶だった、恐怖だった。
それは、腹の中でぐるぐる回って、叫びとなって口から迸る。
「それを、殺すなぁっ!!」
五月の腰から手を放して、目玉の片方めがけて飛び降りる。特に確信もなく、海面を力いっぱい殴りつけた。
海中の…海深い場所に居るはずの海入道。その輪郭がぶれた。形が崩れて無数の亡者の影へと姿を変える。
五月が腕を振るった。
「善星皆来、悪星退散!」
もう一度、彼女が骸骨を召喚する。いつもは巨大なそれが今度は等倍サイズの人骨の群れとなって顕現した。その一体一体が海中の亡者に襲い掛かる。
「なんか三本の矢みたい」
三本束になっていると折れないが、一本だけなら折れる。等倍の骸骨たちが海中の亡者にしがみついて、どんどん海の深い場所へと消えていった。
ついでにようやく土方たちが追いついたようで、海中に隊員たちが突っ込んでいく。土方は海中にぷかぷか浮いている優斗を自分の馬に引き上げた。
「連携考えろ、ど阿呆!」
「最初に先走ったの五月さんです…」
がなる土方にぼやきながら、優斗はボートの上の家族を見やる。三人が三人とも抱き合って…それでもボートの動きが止まったからか、その顔に安堵が浮かんでいる。
恨み、つらみ。ずっと抱えてきた不満。我慢、我慢の毎日に、彼らの顔が罅を入れた。家族に向けて指をつきつける。
「絶対に、一生死ぬなよ!!」
だから、聞こえないと解っていても優斗は叫ぶ。
「死ぬな、こっち来んなっ、絶対に絶対に死ぬなよ!!」
怒りを込めて。勿論、全く聞こえていないだろうけれども。土方がそんな優斗にぼやく。
「お前、あのでかいのふっとばす程とか…どんだけ腹ん中に抱えてたんだ?
あと、言ってることが無茶苦茶だからな。生き続けろなんて恨みの言葉、始めて聞いた」
「千年でも万年でも守ってやるから――絶対に、死なせない!」
ライフセイバーの船がやってきて、ビニールボートに横付けした。妹から順に助け出されていって、家族は生きている喜びをお互いに噛みしめている。きっとこれからも幸せな家族を続けるのだろう。彼らは、優斗が死んでそれを手に入れたのだ。
土方が優斗を乗せたまま五月の元まで馬を駆けさせる。五月はなんともいえない顔をしていた。
「うん、まあ。戦う意思ができたならいいんじゃない?」
「五月さん!」
「あ、はいっ」
「俺に妖術教えてください! 俺、立派な隊員になってみせます」
ふんぬ。と鼻息荒く優斗は宣言した。五月は土方と顔を見合わせて肩をすくめる。
「結構な逸材、連れてきちゃった?」
「そのようで…」
ごつ、と土方が優斗の頭を小突いた。
「てめえの生前事情なんざ知らねえが…なかなかいい顔してんじゃねえか。長男だからなんだってんだ? てめぇはうちの隊では一番の新人だろうが。
んじゃあ、弟だな、末弟、末弟。」
「え…めっちゃ事情知ってませんか?」
「土方くん、真面目だからちゃんと隊員の事情調べるわよ」
プライバシーやいかに。
その土方はひょいっと優斗の体を持ち上げて五月の後ろに座らせた。そうして隊の指揮に戻ってしまう。すでに海中の亡者は姿を消し、少し離れた場所で他の隊員たちが待っていた。
「土方くんじゃないけどさ、確かにいい顔してるね。やっぱ暴れるのって大事」
「そうじゃないっすけど…まぁいいや」
五月は手綱を握ると馬を走らせて隊員たちの元へ合流する。周りの隊員たちから、よかったね、よくやった。そんな労いの言葉がこちらに飛んでくる。…初めて、そんな言葉を他人からかけられた。
ちょっと気恥しくなって、優斗はうつむく。前に座る五月が咳ばらいを一つ。
「あと、さ。一応私はあなたの指導係だから。あんな風にため込む前にちゃんと話をしてよ?
これも土方君じゃないけど…。弟なら言いたいこと言えばいいのよ、甘えなさいな」
「なんか、お姉さんの言葉ですね」
「私、妹いるもん」
なにやら今更、五月が自分よりずっと年長の人なのだと実感がわいてきた。なにやら不思議な気分だ。ずっと兄だからと思っていたのに。死んだらなぜか末弟になっていて、姉ができた。
「今年の盆が終わるね」
ぽつ、と五月が呟いた。
空を、夕焼けが染めている。先ほどまで騒がしかった海面も穏やかに、黒山の人だかりも数を減らしていた。盆が終わる。この時間も終わる。
そういえば、ご先祖様の霊団隊を今年限りで辞退しようと思っていたのだったか…。優斗は少し前の自分を振り返って、「ごめん」と口の中で謝った。思ったより自分は現金だったらしい。ちょっと認められたら、これからやれるかもだなんて思えてしまう。
「来年も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
この夏は、忘れらない年になりそうだ。
耐えて、ため込みすぎた、我慢しすぎのお兄ちゃん。そんな優斗の解放された夏。
生者が知らぬ、とある死者の夏のお話。
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