これも一つの生誕なり

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 盆というのは一年でも特に事故が増える。交通、水難、山の遭難。これは亡者が生者を呼ぶからだという。まあ正しい。  この時期、現世では人々が長期休みに入り、海だ、山だ、川だと飛び出して行く。だがそういった場所では元より事故が起きやすく、不幸な亡者も多い。そうしてあの世にも行けず現世を彷徨う霊たちは生者を憎み、死へと誘う。盆の浮足立った生者たちは自ら腹の中に飛び込んでくる獲物である。まさに入れ食い状態。  だがそんな霊に対抗する者たちもまた、いるのだ。茄子や胡瓜の馬に乗り、現世に残された家族や友人を守るためにあの世から舞い戻ったご先祖様の霊たち…『ご先祖様の霊団隊』である。まんまとか突っ込んではいけない、総長の卜部季武(うらべすえたけ)が落ち込むので。  「副長―! 山ん中が遭難者の亡霊だらけです!」  「地崩れはそのせいか。新人っ、五月(さつき)さんと登山客の誘導に回れ。他の者は連中を蹴散らしに行くぞ!」  青空のど真ん中。だんだら模様の羽織を纏った男が、誠の旗を掲げて茄子の馬に跨り眼下の山に向かって駆け下りた。副長、などと呼ばれているが、ご先祖様霊の団隊において、この一番隊を率いる隊長である。その名、土方歳三(ひじかたとしぞう)。  彼に続くのは年恰好も様々な者たち数十人。  山の中では痩せこけた青白い顔の亡霊たちが、ゾンビよろしく地面から這い出てきて、そこらの岩や樹を山道に向けて押し出している。数百体規模でやるものだから、巻き込まれた地面は大きく抉れ、山道のあちこちで地崩れがおきていた。  そこに副長が一番隊引き連れて突撃し、あっという間に時代劇の合戦さながらな有様となる。  「ほら、私たちは登山客を安全な場所まで誘導!」  優斗の跨った茄子の馬も下降する。優斗の前に座って手綱を握るのは着物姿の少女だ。十代半ば、日本人形のような美しい容姿。彼女…五月は新人である優斗の指導係だ。山道の前方を土砂に阻まれ、立ち往生している登山客に近づくと、手綱を優斗に手渡した。  「私が人に見える姿になってあの人たちを誘導するから、きみは空から安全な道を指示して」  「えぇっ!?」  五月は身軽に馬から飛び降りると、瞬時に山ガール風の衣装に姿を変えて、降りるか留まるかを相談し合っている登山客の中心に立つ、年配の男に声をかけた。  男は突然現れた若い娘に戸惑ったようだが、二言三言五月を会話すると顔を引き締める。  付き合いの短い優斗でもわかるが、五月にはなんともいえない威厳があった。美しい容姿も相まって、逆らいづらい引力を感じる。土方も彼女には腰が低い。  説得が終わったのだろう、五月がこちらを見上げてくる。霊である優斗の姿は彼女以外に見えていない。  慌てて周りを見回せば、山の亡者は大分土方たちに倒されているようだ。それでもぼこぼこと後から後から沸いてくる。このまま下山するにしろ、しっかり道を見定めねば前後を亡者に挟まれてしまう。  「五月さん、まずは道沿いに戻って。そしたら沢へ降りる道と山林を抜ける道に分かれるんで、沢の方へお願いします」  沢の方に亡者の姿は見えない。見晴らしも利くし沢沿いに下れば一直線に麓に出る。歩き始めた登山客の後を追って、優斗は馬を走らせた。  沢は崖に挟まれているが幅は広く、水嵩は浅い。これなら下手な奇襲はないだろう。亡者は基本諦めが悪い。成仏できた霊との大きな違いは、その死を受け居られるか否かだ。意図せず不幸な死を迎えた彼らは、自らの境遇を受け入れられずただひたすらに同胞を求めて地上を彷徨っている。  ふと頭上、崖と崖の間を渡す長いつり橋の両端に群がる亡者を優斗は見た。    「五月さん、つり橋に亡者が群がっています!」  つり橋の杭に何体もの亡者がとりついて、地面から引き抜こうとしている…あ、と思う間もなく杭が傾き、崖から眼下の登山客めがけてつり橋が落下した。  「亡者が私に喧嘩を売ろうなんざ、千年早い!」  五月の声と共に沢の水が弾けた。中から飛び出してきたのは巨大な骸骨だ。歌川国芳の絵画、『相馬の古内裏』にでてくる、骨の妖。崖よりも大きく伸びあがったその巨体は落ちてくるつり橋を弾き、崖縁に群がった亡者を跳ね飛ばす。  五月…五月姫、またの名を滝夜叉姫(たきやしゃひめ)。歴史に名を残す妖女こそが彼女の正体である。
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