第二章 獅乃の異変

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 佐藤の病室へ赴いた滝坂は、ノックをしてからしばらく待ったが、応答はなかった。 「佐藤さん、失礼します」と言いながら、ドアを開けた。  名乗ろうとした滝坂だったが、彼女の静かな声が耳朶を打った。  ――あの人は私を守ってくれた。  滝坂は思わず佐藤に視線を向けたまま、固まってしまう。  佐藤は薄ピンクの患者服を着ており、ベッドに半身を起こして座っている。  毛先が少し外側にはねた黒のショートボブ。少し面長で小顔なので髪型がよく似合っている。肌は蛍光灯の光に照らされてより白く見えた。眉は細く、垂れ目で低い鼻。薄い唇は乾燥しているのか、ひび割れている。視線はベッドの近くにある長机を見ているようだったが、焦点が合っていなかった。無表情で、生気が感じられなかった。 「佐藤さん?」 「すみません、わけの分からないことを言って……」  我に返った佐藤は申し訳なさそうに言って頭を下げる。 「いえ、お気になさらず」  何事もなかったかのように平然を装いながら、深呼吸をした。  話を続けようとした滝坂だったが、彼を一瞥して口を閉ざした。 「あの人は私を守ってくれた……か」  佐藤が最初に発した言葉を反芻(はんすう)した獅乃の表情は、青ざめている。  ――大事な人の命を守るため自らを犠牲にするか。それとも、自分と大事な人が生き残る手段を取るか。  前者を選ぶなら自らの死を受け()れる。後者なら、死の恐怖に打ち克つ。どちらを選ぶにせよ、覚悟がいる。 「獅乃?」  声をかけても反応がない。 まただ。この事件の遺体を発見したときと同じ。獅乃の瞳は焦点が合っておらず、彼にしか見えないものを見ているようだった。  滝坂は溜息を吐いて、周囲を見回す。室内には二人しかいない。獅乃に視線を戻した。  ――パンッ!  滝坂は獅乃の頬を勢いよく(はた)いた。  彼の瞳に驚愕の色があらわれる。頬からくる痛みで我に返った。 「一度しか言わないから、ちゃんと聞きなさい」  面食らった表情の獅乃をよそに、彼女は耳許に顔を近づけ囁いた。 「この事件、あんたの過去とは無関係よ」 「それをどこで……」 「そんなのは後回し。じゃ、さっきの続き」  何事もなかったかのように椅子に座り直した彼女は、笑みを浮かべてそのセリフを遮った。  獅乃はなにかを振り払うように、一度首を振ってからうなずいた。
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