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「廊下と部屋を隔てるように、両腕を広げて膝立ちをした彼を見ました。痛みを我慢しているかのようで、歯を食い縛っていました。もうなにが起こっているのか分かりませんでした。ただ目が離せないまま、しゃがみこんでしまいました。服はあちこちが破けていて、血が出ているところもありました。床にも血が広がっていました」
声を絞り出すようにして一気に喋っていたが、ここで深呼吸をする。
彼女の膝の上に置かれた手には、涙が零れ落ちていた。
「彼の呻き声と鈍い音がずっと続いていました。よく見ると、彼の背後にいる誰かが、なにかを振り上げては下ろしていたんです。その度に、床の血が広がっているような気がしたんです。このままだととても嫌なことになる。そう思った私は、彼に向かって手を伸ばそうとしました。ですが、まったく動けませんでした」
最後の一言には自嘲が込められていた。
佐藤が、顔を上げて滝坂に視線を向けた。
涙に濡れているにもかかわらず、とても幸せそうで、けれど、それと同じくらい悲しそうな笑みだった。
その表情に驚愕する滝坂をよそに、彼女は言葉を続けた。
「……〝大好きだ〟と。唇の動きだけでしたが、痛みを忘れたかのように、笑ったんです。まるで、〝今さら、こんなこと言ってごめん〟と言っているようでした。次の瞬間、ギラリと光るなにかが、彼の首に刺さったのでしょう。彼はそれを抜かれた後、前に倒れたきり、動かなくなりました」
滝坂は震えている彼女の肩に優しく触れる。
「ありがとうございました。必ず、犯人を捕まえますからね」
静かながらも優しい声音で、そう告げた。
「お願いします。……人に触れてもらったのは、久し振りな気がします。滝坂さん、とても、温かい手をしていますね」
そう言いながらも、彼女の涙は止まらなかった。
「あの……ひとつ、頼みを聞いてもらえませんか?」
「はい。なんでしょう」
「思いっきり……泣いていいですか。うるさいかもしれないですけど」
とても申し訳なさそうに、そして、これ以上普段通りに話せないと訴えるような目をしていた。
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