第三章 知られざる過去が明るみに

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 目前に転がる骸が、少女に見えた。何度声をかけても、揺すっても目を開けない。慌てて抱き寄せる。左胸にあてた右手を真っ赤に染めて、止血をしようと必死になって押さえるが、止まらない。  ――あれ、力が入らない。なんで?  見ると左肩と腕から血が流れ、身体が熱くて痛い。  そう思って初めて、自分が怪我をしていることに気づく。  けれど、それ以上に、心が痛い。鼓動するたびに、激しい痛みを訴えているような感覚があった。  茫然として声もなく涙するだけ。自分のことのはずなのに、他人事のように感じていた。  目に入ったのは、血で紅くなった包丁。ポタ、ポタ、と赤い雫を垂らしている。  誰だろうと思って顔を上げる。その人物は鬼柳によくお菓子をくれた少女の優しい姉だった。見慣れたはずだった。しかし今は、優しさの欠片など微塵も感じない。ただの狂気に染まっていた。 『殺すのなんて簡単じゃない』  そんな狂気に染まった女の唇が動いた。  それを読み取ると、哀しみが、恐怖が、怒りが、憎しみが込み上げてくる。しかし、それは声にならない。それが、とても、もどかしい。  大事な人を守りきる力がなく、恨みをぶつける度胸もない。  吐き気がするほど、無力だった。かといって、認めたくないと逃げられもしない。  あの少女と過ごす、他愛のない時間が、かけがえのないものだった。それを手放したくないと心から思った。けれど、それは(ゆる)されなかった。誰かと一緒にいたいという、ささやかな願いですら叶わなかったのだ。  彼がなにより心を痛めたのは、大事な人を巻き込んでしまい、このような最悪な結末に至ったこと。  ――このままでは、俺が、壊れてしまう。  人は心が壊れたら最後、醜く変貌することを嫌というほど理解していた。そうなりたくない一心で、自らに呪いをかけた。
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