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――こんな悲劇、二度と起こしてはいけない。せめて、辛いことがあってもそれを感じさせず、普段通りに過ごせないだろうか。誰も巻き込まずに、自分だけがそれを背負えばいい。
そうすれば、最悪の状況を回避できるのではないかと思ったから。
その選択は目に見えない形で、自身の心を壊すことだったとは考えてもいなかっただろう。
この出来事は彼にとって、忘れてはならないものとなった。
それ以来、自身の感情を封じ込めることに全力を注いだ。辛い目に遭ったのにもかかわらず、一人でいるときに弱音を吐くことさえ、赦さなかった。感情を抑えるのはとても苦しかったが、今はもうそれに気づきにくくなっている。
それでも、彼の中には、素直になりたいという想いと、それを決して赦さないという想いの両方が存在し、葛藤し続けている。
危ういモノを抱え込んで必死に生きるなど、生き地獄以外の何物でもない。
それを長く続けてきたからだろう。今では、感情を素直に表現すること、本心を口にすることに極度の抵抗と躊躇を覚える。
滝坂はシートに身体を預け、痛みをこらえるように眉間にしわを寄せる獅乃を見つめる。
理由は分からないが、今の獅乃から、目が離せなかった。
そんな滝坂の脳裏には、刀川の一言がよみがえっていた。
――あいつは、今回の事件を自身の過去に重ねている。
獅乃の放つ雰囲気は普段とまるで違う。深い絶望と哀しみしか感じられない。心の中に今にも消えてしまいそうな雪の結晶を持っているのではないかとさえ思える。それほどの危うさを秘めていた。
――暗く一面の雪景色の中で一人、佇んでいる。
獅乃を見ていて、そんな光景が浮かぶ。そして、そのまま、どこか遠くへいってしまうのではないか。
そんな予感が滝坂の脳裏をよぎるが、強く否定できない。
同時にひとつの疑問が浮かんできた。
自分の目の前にいるのは、本当に獅乃鬼柳なのか。頭の回転が速く、射撃の腕もいい。被害者のために、全力で捜査をする。周囲になにを言われても、自身の信念を曲げない強い男。
そう思っていた。けれど。
そんな男が、こんなに静かで、哀しい雰囲気を放つのか。
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