いっそ、不審者だったなら

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いっそ、不審者だったなら

 知人で僧侶のSさんの話。  九州の片田舎にあるSさんの寺は、代々Sさんの一族が住職をしていた。そのため、前住職だったSさん父が他界すると、他寺に勤めていたまだ三十代のSさんが早々に住職に任ぜられた。彼の宗派は必ずしも世襲制をとっているわけではないのだが、実際には、こういう配慮がなされるのが通例なのだという。  そのSさんがいつものように本堂での夕方のお勤めを終え、家族と暮らす離れへと戻ろうと廊下を進むと、ちょうど離れの入り口に差し掛かろうかという辺りで、急に酸味を含んだ腐臭が鼻を突いた。 「またか……」  と思った瞬間、Sさんの後方、廊下の奥の突き当たりの納戸の中から  ドタドタドタッ!  と地団駄を踏むような足音が聞こえる。昨日よりも大きい。 「ひゃっ」  と軽く悲鳴をあげて、Sさんは振り向きもせず離れに入り、急いで扉を閉めた。  ここ二週間ほど、Sさんは納戸の中の物音に悩まされていた。  発端は、ある日の夕方だった。  突然、鋭い異臭がしたかと思うと、納戸からドタッと音が聞こえた。なんだろうと開けてみたが、そこには座布団がしまわれているだけで、音が出る要素は何もない。もちろん動物などもいないし、その痕跡もなかった。気のせいとも思えなかったが、その時はさして気にせずにいた。  翌日も同じ時間帯に、同じような異臭がして、やはり納戸の中からドタドタと音がする。開けてみても、あるのは座布団だけだ。  翌日も、さらにその翌日も腐臭を合図に音が聞こえるのだが、次第にその音量は大きくなり、五日ほど後には、明らかに人の足音と思えるようなものになった。もちろん、納戸の中には誰もいない。  気味悪く思っていたが、家族には黙っていた。  こんなことが続いて十日ほどが経ったある夜、本堂の戸締まりを確認しようと廊下に向かったSさんの妻が、「きゃっ」と大きく短い悲鳴をあげる。  あわててSさんが様子を見に行くと、彼の妻は廊下で黒い人影を見たと騒ぎだした。  泥棒か、不審者の類いだろうか。  Sさんが辺りを確認するが、誰もいない。人が入った形跡もないし、本堂も廊下も、戸締まりはしっかりされている。動揺していた妻を落ち着かせ、再度、屋外も含めてしっかりと確認してみても、外部から人が入り込んだ形跡はどこにもなかった。  ……まさか、納戸のアレか?  と思い至り、Sさんは総毛立ったという。 「なにか、異変が起こるような心当たりはあるんですか?」  と私が問うと、Sさんは容易には思い当たらないようだったが、しばらく考えた後、 「心当たりと言えるかどうかは、あれですけど、時期的に符合することはあったかも知れんですねえ」  と言う。  昨今、お寺の経営状況も厳しくなってきている。やむなくSさんは、寺の敷地の一部を潰して月極駐車場にすることにした。その工事の際、地中から一基の小さな墓石が出てきたのだ。  寺の敷地内から古い墓石が見つかるのはそう珍しいことではない。Sさんも墓石を敷地内に移して型どおりに弔ったのだが、それがおよそ二週間前、丁度物音が起こりだした頃だそうだ。 「それくらいしか、思いつきませんねえ。やっぱりあれが原因の、幽霊とか祟りの類いなんですかねえ……」  Sさんの宗派は、幽霊や祟りの存在を公式には認めていない。厳密に言えば、そのようなことを論ずるのは仏教の本意ではない、ということなのだそうだ。  そのためSさんは、幽霊なり祟りなりを鎮めるための特別な方法やら儀式やらは学んでいない。もちろん、この件を宗派に相談することもできない。  ましてや、霊能者などを呼んで祓ってもらうわけにもいかないだろう。そんなことをすれば、すぐに町内で噂になってしまう。古参の檀家にどんな嫌味を言われることか。  つまりSさんには、これといって打つ手がないのだ。  もちろん、納戸に向かってお経を上げてはいるが、今のところ目に見えて効果があるわけではないという。何よりも妻子に危害が及ぶのが心配だと語るSさんは 「いっそ、不審者だったらいいんですけどね。その方が、まだ対処法があるわけで……」  と自嘲気味に笑った。  なるほど、僧侶だからといって誰でも彼でも霊視なり除霊なりができるわけではないだろう。ではこういう場合、一体誰に相談するのがよいのだろうか。私は未だに思い倦ねている。
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