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「寒い……」
キリギリスがそう口に出すのは何度目だろうか。
昼下がりの商店街、日は出ているのに気温は上がらない。木枯らしがキリギリスを追い抜いていくが、彼はその風を凌げるコートを買う余裕もない。
「はぁ、やっと着いた」
冬を間近に控えた今、この商店街の店は全てシャッターを下ろしていた。
唯一、アリの店を除いては。
「アリさん!」
扉を開けるなりキリギリスは大声でアリを呼びつけた。アリの店の客は怪訝な目で薄汚いキリギリスを眺めている。
「どうされましたか?」
「アリさん!」
店の奥からアリの姿が見えるやいなや、キリギリスはその場で膝をついた。
「急にごめん。アリさん、お願いがあるんだけど……」
アリは何も言わずただキリギリスを見下していた。
キリギリスからの角度ではメガネが反射してアリがどんな表情をしているかわからない。
「ちょっとでいいんだ!ちょっとでいいから……食べ物わけて!」
「ここは」
アリは縁をつまんでメガネを動かした。
「店です。もちろん食べ物も売っています。頭を下げるんじゃなく普通にお金を出せばいいじゃないですか?」
アリのその目は下等な生物に向けるもので、いつの日かキリギリスがアリに向けていた目。
「『生きてれば結局なんとかなるんだから』……君が私に言ったこのセリフ、覚えていますか?」
「い、いや」
「覚えてないですよね。キリギリスさん、君はいつもそうです。私が懸命に働いている時も遊びながら私を茶化してたこの夏のことも覚えていないんですよね?」
「そ、そんなことあったっけ?」
「君は夏の間あんなに私のことをバカにしたじゃないですか」
アリはポケットから布を取り出し、メガネのレンズを拭いた。汚れが落ちたアリの視界は透き通るほど晴れ晴れしている。
「ヘラヘラしながら適当に過ごしてきた結果が今です。キリギリスさん、君は生きていればなんとかなるとかほざいてましたが……今までは運良く誰かが『なんとかしていた』だけなんですよ」
アリはキリギリスの後頭部から目を離し、店の方へと体を向けた。
「食べ物わけて、でしたっけ?当然お断りします」
そう吐き捨ててアリは店の奥へと戻っていった。
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