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「お兄さん。今日一日、私とデートしてくれませんか? お金とかはいらないので」
そんな怪しげな誘いに誰が乗るというのだろうか。
お金はいらない? なんだそれ?
僕は声をかけてきた女の子の顔をまじまじと見つめる。
見つめれば見つめるほど、訳が分からなくなってくる。
長い黒髪はアイロンをかけているようにまっすぐで清潔感があり、白いワンピースは夏の光に反射してキラキラ輝いている。肩から露出した素肌は白く、日焼けなどとは無縁の眩しさだ。
そして何より、にっこりと微笑むその顔はアイドルかと思うくらい美しく整っている。
これは何かの間違いに決まっている。白昼夢か。あるいは、美人局。誘いに乗った瞬間、黒塗りのBMWが近づいてきて、運転席からサングラスをしたいかにもっていう人が顔を出し、「俺の女に手を出しやがったな。慰謝料払え!」と、こういう展開になるに違いない。
それとも、誰かが仕掛けたドッキリか?
とにかく、関わらないのが吉と判断する。
「ごめん、やめときます」
「一日だけ! 今日だけでいいから……」
僕が彼女に背を向けると、彼女は必死になって僕の正面に回り込んだ。
「お願い、お願いします」
よく見ると、可愛い瞳に涙まで浮かべている。
僕は周囲を見回して、カメラを持った人間が笑いながらこっちを観察していないかどうかを確認した。
真夏の浜辺に、海水客の姿はない。今年巷に流行したウイルスの影響で、僕が毎年バイトをしていた海の家も、その他の露店も、軒並み休業しているせいだろう。
僕がふらっとここにやってきたのは、大学の夏休みの最後の日に海でも眺めるかと思ったからだ。要するに、ただの暇つぶしだった。
金はないけど、時間ならたっぷりある。
例えば──知らない女の子と一日中デートすることだって可能なほどには。
近くに誰もいないことを確かめると、僕は海風になびく彼女のワンピースの端を見ながら尋ねた。
「……今日だけ?」
彼女が嬉しそうに頷く。
「はい。私、ワケありなんで」
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