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「上次さん⋯⋯」
「えっと、うえつぐってあなたが⋯⋯」
未散が戸惑いながら話しかけている。
「はい、澄水くんのご兄弟でいらっしゃいますか?この度は大変申し訳ないことを致しました」
そう言って、深々と頭を下げてくる。
ぼくが路地から飛び出してぶつかったのが、この上次さんの車だったのだ。
サラリーマンの上次さんは、元々律儀な性格らしい。
毎週土曜の午後に欠かさず手土産を持って見舞いに来てくれていた。しかも、様子を見聞きして安心するのか、15分ほどで帰る。
土産の高級スイーツは、未散と二人で美味しく食べていた。
「本当に良かった。早く治って⋯⋯」
心から安堵した顔をしている。
この人には、申し訳ないことをした。
ぼくが飛び出しさえしなければ。
あの時⋯⋯、追いかけられたりしなければ。
通り魔のことは、何度も警察に聞かれた。
1カ月たった今も、はっきり思い出すことが出来ない。
まるで、靄がかかったように。
「澄水くん?澄水くん、大丈夫ですか?」
いつのまにか、タクシーが目の前に止まっている。
心配気な顔がぼくを覗き込み、隣の未散がおろおろしている。
「やはり、一緒に行ってお母様にお詫びを申し上げた方が」
「いや、大丈夫だと思います。もう十分していただきましたし」
ぼくがきっぱり言うと、上次さんは、困ったように頷いた。
「⋯⋯では、日を改めて伺います」
ぼくの体を気遣ってだろう。運転手に、速度を落として慎重に走るよう伝えてくれた。
未散に手土産を渡し、さっと運賃の支払いまで済ませてくれる。
振り返ると、リアウインドー越しに、いつまでも見送ってくれていた。
久々の自宅の食卓は、ぼくと未散の好物でいっぱいだった。
鶏の唐揚げ、ポテトサラダ。手巻き寿司に煮物にフルーツゼリー。
ぼくが入院している間に、一回り細くなったように見える母。
母は、未散と会うのも久しぶりだと笑う。
未散に向けた母の笑顔を見て気づく。
ぼくたちの目元は父親似だけれど、他の造作は母に似ている。ずっと一緒に暮らしていたのに意識したことがなかった。ぼくの興味はいつだって、一人にしか向いていなかったから。
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