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番外編 澄水
ねえ、すみ。
澄水は、なにが好きなの?
⋯⋯好きなもの?
そんなもの、決まってる。
昔からずっと変わらないよ。
みんなが、そっくりねえと言うけれど。
本当は、未散のほうがまつ毛が長いし、目も大きい。
ぼくの右の目元には小さな黒子があるけど、未散にはない。
誰よりも未散のことを見てきたから、未散より未散のことを知ってるよ。
未散は、ぼくが好きだと言うけれど。
心の中に自分だけの部屋を持っている。
そこは固く閉まっていて、ぼくも入れないんだ。
でも、いいよ。誰も入れないのなら、みんな同じ。
未散の目に一番うつっているのは、ぼくだから。
ぼくを見て、安心したように笑う。
その時の気持ちを何て言ったらいいんだろう。
くすぐったいような、せつないような。
じんわり温かくて、涙が出る寸前のような。
未散の目を塞いだまま、他の誰も見られないようにしたくなる。
二人っきりだった昔のように。
「お世話になりました」
「早い退院になって、よかったですね。えっと…お兄さん?迎えにいらっしゃるのかしら」
「はい。たぶん、もう少ししたら」
担当の看護師と話をしながら、荷物をまとめる。
通り魔に襲われてから1カ月。
手足の骨折はほぼ治り、後は日常生活の中で動きながら筋肉をつけていくしかない。
混濁していた記憶も、だいぶ戻ってきた。
「澄水!」
明るい声がして、病室の戸が開く。
「未散、来てくれたの!ありがと」
「来るよ。お前ひとりじゃ大変じゃん。母さんも来るって言ってたんだけど、俺一人でいいって言ったんだ。家でごちそう用意して待ってる」
未散は、さっとぼくのバッグを手に取った。
「もう準備できたんだろ?行こ!」
土曜日の退院になってよかった。
これが平日だったら未散にも来てもらえなかった。
「母さんがタクシーで帰って来いって。澄水の体、疲れちゃうもんな」
未散の顔を見てたら、疲れも吹き飛ぶ。そっと心の中で呟く。
二人で病院を出て、タクシー乗り場まで歩く。
「⋯⋯すみません。今日が、退院日だとは知らなくて」
細身のスーツを着こなした男が声をかけてきた。
短く整えた清潔感のある髪。メガネの下の瞳は涼し気だ。
ぎょっとしたように、ぼくと未散を交互に見つめている。
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