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『澄水。孝也とキスしたって⋯⋯』
本気じゃなかった。
未散に当てつけてやりたかった。
本人さえまだ気づいていない思いを、粉々に砕いてしまいたかった。
遠野はいつだって、ぼくに触れる時は優しかった。
だから、驚いた。
『サヨナラって、どういうこと?俺のことが好きだって言ったのに』
あんなに激しく怒るなんて、思ったこともなかった。
掴まれた腕が痛くて、夢中で振り払った。
ビックリして、怖くなって、走り出して。
目の前に。
車が。
夕闇が、周りを急速に暗く包んでいく。
公園の街灯だけが辺りをくっきりと照らしていた。
遠野の手が、ぼくの首に触れる。
力が入って、だんだん、息が出来なくなる。
「⋯⋯っ!」
未散⋯⋯。
瞼に、はにかむような笑顔が浮かぶ。
ぼうっとして、目の前が暗くなっていく。
ああ、これは、罰だ。
未散の気持ちを砕いて、遠野の心を踏みつけにした。
遠野の想いに甘えて、傷つけて。
頬に、ぽたぽたと熱いものが落ちてきた。
ねえ、遠野。
⋯⋯なんで、泣いてるの?
「澄水⋯⋯すみ」
急に体から力が抜けた。
体中に何かが巡っていく。
ゴホッゴホッと激しく咳込んで、体を丸めた。
喉が痛くて、胸が苦しくて、鼻水も涙も出る。
力が入らなくて、ベンチから転がり落ちそうになる。
骨が砕けそうな位強い力で、遠野がぼくを抱きしめる。
殺されそうになってるのは、ぼくなのに。
なんで、お前が泣くんだよ。
そんな、死にそうな声で。
そんな、切ない声で。
「ずっと、あやまりたくて。でも、会ったら⋯⋯」
茶色の瞳の中に揺れるものを知ってる。
──憎くて、愛しくて。
ばかな、とおの。
ばかな、ぼく。
一方通行の、どうにもならない想いに。
こんなにも、がんじがらめになっている。
力の入らない腕を何とか持ち上げる。
遠野の、サラサラした髪に触れる。
「⋯⋯す⋯み」
ぼくの手をとって、遠野が口づける。
形の良い唇から零れる声が。
何よりも大事な物を呼ぶようで、切なかった。
そんなふうに名前を呼ばれたことが、今まで、あったかな。
ずっと昔。
離れ離れになるとわかった時に、呼ばれた気がする。
あの日の未散は、もうとっくに、いないんだ。
頬に涙が伝う。声もなく、幾筋も。
馬鹿馬鹿しいぐらい、ただ泣き続けた。
二人だけで。
闇に包まれた公園で。
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