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 佐原は全国チェーンのディスカウントストアで品出しのアルバイトをしている。お店は二十四時間営業で、二十一時から六時までの夜勤スタッフだ。時給は九百円だが、二十二時以降は千百二十五円になる。この些細な時給アップが夜勤の時間帯を選んだ理由の一つだった。  主な作業は、店内に無数に配置されている商品棚への商品の補充だ。棚の数もさることながら、商品の数も相当数あるため、すべてを補充する間もなく勤務終了時間を迎えることはざらだった。  繰り返し作業を苦手とする人もいるが、佐原はむしろ好きだった。手はしっかりと動かしながらも、頭では別のことを考える。  しかし、最大の理由は人との関わり合いが少ないということだった。品出しなどのほうがお客とのコミュニケーションが少ないように思えるが、実際には商品の場所を尋ねられることが比較的多く、機械的にこなすだけでいいレジ打ちのほうが佐原としては望ましかった。事務的な会話は会話ではない。それくらいは許容範囲内だった。  今日も普段どおりに二十一時のシフトに間に合うように職場へと向かった。自宅から職場までは車で約二十五分ほどかかる。佐原は遅くとも十九時四十五分には家を出るのだが、道が混むことを差し引いても出るのが早い。しかし、佐原にとって早く家を出ることよりも、ギリギリに出発して万が一シフトに間に合わなくなることのほうが嫌だった。余裕を持ってシフトに入る、それが佐原のルーティーンと言えるものだった。  到着したのは二十時二十分頃。敷地の隅にあるスタッフ用の駐車場へ車を止め、裏口からスタッフルームに入る。約十畳ほどの広さのスタッフルームには、四人がけのテーブルと一人用の更衣室、ランドセルサイズで十人分のスペースがあるロッカーと店長用の事務デスクがある。ロッカーはスタッフごとに割り当てられており、一番右の最下段が佐原のロッカーだった。  ダイヤル式の南京錠をはずし、財布やスマホ、タバコなどをしまう。大抵のスタッフは私服で来て更衣室で制服に着替えるが、佐原はいつも制服で通勤していた。制服といっても支給されているのはスタッフ専用ポロシャツと文庫サイズの黒いウエストポーチだけで、それ以外は個人のページュのチノパンにスニーカーであれば問題がないため、通勤時にも気になることはない。  荷物をしまいロッカーを施錠し、椅子に腰掛けると時間は二十時三十七分だった。シフト十分前の二十時五十分には夜番シフト全員での朝礼があるため、あと十数分時間がある。すると、さきほど佐原が入ってきた扉が開いた。 「おはようございます。いつも早いですね」  入ってきたのは同じシフトの東野さんだった。東野さんは十九歳の青年で、高校を卒業後、就職するわけでもなくフリーターとしてここで働いているそうだ。聞いていないにもかかわらず、以前勝手に話してきたからなんとなく覚えていた。佐原より十一歳年下ということになるが、まるで年上かと思うほど落ち着いている。かといって性格が暗いというわけではなく、ちょうどいい距離感で接してくれるのだが、正直鬱陶しく感じていた。  佐原はバイト先で極力誰とも話をしない。お客さんに話しかけられた場合や、レジの業務をしているときはどうしようもないので受け入れているものの、できればそれすら避けたいというのが本音だった。  東野さんはラーメンが好きで、時折最近行ったラーメン店の感想を一方的に話しかけてくるのだが、そもそも話しかけられたくもなければ、そこへきてまったく興味のない話とくればうんざりするのも無理ないだろう。そう言い聞かせて自分を正当化する。 「…ええ、まあ」 「そういえば少し前にカプコンの近くに家系ラーメン屋ができたの知ってます?」 「そうなんですか」 「意外と美味しかったのでおすすめですよ。二十四時間営業なので興味があったら行ってみてください」 「そうですか…機会があれば」  東野さんはいつもこの調子でラーメン情報をぶつけてくる。一緒に行きましょうなどと誘ってきたりなんかしたらとても迷惑だが、適当に相槌を打っていれば勝手に満足してくれるのでその点は助かっていた。仕事終わりに一緒にラーメンを食べるなんて時間の無駄でしかないし、想像するだけでもゾッとする。佐原の価値観からすると、バイト先の人との交流なんか一人きりの居心地の良さには敵わない。  話が盛り上がるわけでもなく、すぐに朝礼の時間がやってきたため、バックヤードへと向かうことにした。  バックヤードはいつも数え切れないくらいの荷物で溢れかえっていた。最低限整理はされているが、在庫数を把握するのはもはや現実的ではないほどの状態だった。もっとも、在庫管理についてはシステムで把握されており、持ち歩きのできる小型端末でバーコードを読み取ることですぐに確認できるようになっている。詳しい仕組みはわからないが、いちいち在庫をひっくり返さなくていいというだけで佐原にとっては十分だった。  夜勤の朝礼はいつもバックヤードで行われている。そこで店長からその日の入荷商品や新商品などについて簡単に説明があったり、業務連絡を受けたりするのだ。話を聞いてメモをとるだけなので数分で終わるのが常だった。 「はーい、おはよう」  佐原達よりやや遅れて店長が現れた。 「おはようございます」 「今日は新商品は特になし。今日は棚卸しの続きが残ってるから、それメインで進めてください」  佐原は店長の言葉で棚卸しの時期だったことを思い出した。日勤で終わることを祈っていたが、そんな虫のいい話があるわけもなく当然のように夜勤にもまわってきたのだった。あまりに地道な作業なので毎回気が遠くなりそうになるが、作業自体は黙々と進めることができるため嫌いではなかった。 「はい。それじゃあ今日も一日よろしくおねがいします」  店長の言葉で佐原達はそれぞれの持ち場へと移動を始めた。  バックヤードから売り場へと向かう。今日の担当はカー用品のコーナーの補充から始まる予定だった。ワックスなどの実用的なアイテムをはじめ、使い勝手の良さを売りにしていドリンクスタンドやシガーソケットに差し込んで使うネオンカラーのライト等数多くの商品が所狭しと並んでいる。パッケージが似たような商品が多いため、ただの補充とはいえ間違えないようにするには一苦労だ。普段通勤で車の運転をしているが、特にこだわりはなく単なる移動手段としてしか捉えていないため、いちいち内装に凝る人の神経が理解できない佐原にとっては面倒なだけでしかなかった。 「あのー、すいませーん」  声のする方へと顔を向けると、上下スウェットで顔が真っ黒に焼けている、いかにもという風体をした男性がこちらを向いていた。 「どうされました?」 「このスモーク、もっと濃いのってないの?」  いきなりタメ口だ。 「スモークフィルムに関しては出ているので全てになります。すみません」 「はぁ?裏とか探したらあんじゃないの?」 「申し訳ありません。こちらで全てとなります」 「探しもしねーでなんで分かるんだよ。手抜いてんじゃねぇぞ」 「ここに出ているもので全てになります。申し訳ありません」 「だからなんでわかんだよ!探してこいよ!」 「ここにあるので全てですので…すみません」 「いいから探してこいって言ってんだろうが!」  また悪い癖が出てしまった。素直に探してくるふりをすればいいだけなのに、わかっているにも関わらず引き下がることができなくなってしまう。  このあと結局いかにもなスモーク男はさらにヒートアップし、その騒ぎを聞きつけた店長が対応したことによって事なきを得た。苦々しい表情をした店長からはやんわりと注意を受けただけで済んだが、佐原の中ではきっとまたやってしまうんだろうとどこか他人事のように感じていた。年々コミュニケーションが苦手になっていってる自覚はあった。毎回シチュエーションは違えど、こうしたほうがいいんだろうとわかっていながらスマートに振る舞うことができない。そもそも他人とのコミュニケーションが苦手になったのは、中学三年生の時に起きたある出来事がきっかけだった。
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