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当時、仲の良かった友人の武藤晴樹と同じ高校を受験することになっていた。晴樹とは中学一年生の時に同じクラスになり、好きなアイドルが同じという理由で意気投合。それからというもの、三年間の間で親交を深めていき佐原にとって親友と呼べる存在になっていた。志望校はそこそこの偏差値で、簡単とはいかないものの、佐原も晴樹も学力的には十分合格圏内に入っていた。
事件が起きたのは、合格発表当日だった。
受験結果を確認するため、佐原と晴樹は結果が掲示される志望校へと向かった。志望校に到着すると、お目当ての受験結果は正門をくぐったすぐ先にある正面玄関の一角に掲示されていた。お互いにそれなりに手応えを感じていただけに、合格しているという強い期待を胸に自分の受験番号を探した。
受験番号は八百九十番。受験をした時から今日まで穴が空くほど見た番号だ。忘れようがない。受験番号は左上から番号順になっている。途中番号が飛ばされているのは、合格者の受験番号しか掲示されていないせいだ。自分の受験番号に近い箇所まで一気に視線を飛ばせば良いものを、佐原はあえて始めから目で追う。もしも番号がなかったらと思うと怖かったのだ。それはまるで、処刑台へと向かう死刑囚のような気持ちに思えてならなかった。
目線はとうとう八百五十番台にたどり着いた。八百六十番台……八百七十番台……いよいよだ。八百八十二番……八百八十五番……八百八十六番……。
「あった!」
急な叫び声に思わず体が反応してしまった。その瞬間、まるで時間が止まったかのようだった。声の発信源は隣の人物からだった。それが何を意味しているのか理解できているはずなのに、理解できていない。脳の処理が追いつかない。佐原はしばらく硬直していた。そして、じわじわと湧き上がる感情を押し殺しながら横を向いた。晴樹が顔を紅潮させ、目に涙を浮かべていた。
「恭司!おれの番号あったぞ!」
そう言いながら晴樹は肩を組んできた。合格の喜びを表しているかのようにその力は少し強めだった。志望校に合格したのだからその喜びは計り知れないものだろう。まして親友が合格したのだから佐原にとっても喜ばしいことには違いなかった。しかし、言葉が出なかった。それどころか笑顔すらでなかった。なぜなら目の前に掲示されているボードには、佐原の受験番号はどこにもなかったのだ。
「やった受かったんだ!勉強頑張った甲斐があったよ!」
「おめでとう…」
「まじで嬉しい!佐原はどうなんだよ、番号あったんだろ?」
答えられなかった。合格に浮かれる晴樹の姿を見ればみるほど、みるみる心が冷たくなっていくような感覚を覚える。そんな様子に異変を感じたのか、晴樹の表情が曇った。
「いやいやそういうのいいって…番号あったんだろ?なあ」
引きつった表情で懇願するかのように尋ねてくるその顔を佐原はまっすぐ見据えることしかできなかった。その姿を見てようやく状況がつかめたのだろう、晴樹ははしゃぐ素振りを見せることはなくなった。
「いやー、番号無いっぽいわ」
加速度的に冷えていく心とは裏腹に、佐原は務めて明るく振る舞ったつもりだった。
「恭司…」
「頑張ったんだけどな。でも仕方ないよな。むしろ晴樹だけでも受かってよかったよ。まじでおめでとう」
「ありがとう…でも喜べねーよ。俺だけじゃ意味ねぇじゃんか」
「そんなことないって。すごいことじゃん、もっと喜べよ!」
「無理だって、自分だけ受かって馬鹿みたいに喜べるかよ」
「気にすんなよ。っていうか馬鹿なのは俺の方なんだから」
すぐにしまったと思った。軽いギャグのつもりで言ったのだが、明らかに皮肉に聞こえてしまうのは間違いなかった。しかし、本音でもあった。当然合格するだろうと高を括っていたにも関わらず、蓋を開けてみたらこのざまなのだから。
「そういう言い方するなって」
「実際俺だけ受かってないんだからそうだろ」
「やめろって」
「あーあ、どうしよっかな。滑り止め受けておいてほんと良かったわ」
「そうだな…まあ高校は違っても別に遊べないわけじゃないからな」
何気ないやりとりだった。きっと晴樹は精一杯のフォローをしてくれたのだろう。しかし佐原の胸には何かが引っかかった。晴樹の発したニュアンスには嫌味のようなものも見下すようなものも含まれていないことはわかっていた。しかし、自分が思っている以上に気持ちが乱れていたのだろうか、無性に腹が立って仕方がなかった。
そこからの会話は覚えていない。佐原の中では晴樹との関係はこれまでとは別物になってしまったのだ。いまとなっては単に嫉妬していたのだと理解が出来るが、このときは挫折感と怒りと様々な感情に飲み込まれてしまっていた。この日を境に、徐々に晴樹からの誘いを適当な理由をつけて断るようになっていく。一生涯続くものだと信じて疑わなかった関係が、あっさりと薄れていった。あんなにも毎日のように一緒にいたのに、たった一度の挫折が関係性をこんなにも変えてしまうなんて思っても見なかった。
あのとき晴樹の瞳には確かに失望の感情が浮かんでいた。なんでも知っていると思っていた親友の目に、自分の知らない感情を感じ取ったことがショックだった。もちろん春樹になんの落ち度もない。むしろ気を使ってくれたのだから感謝しなければならないくらいだろう。しかし、自分は合格できなかったという事実を受け止めることができていない状況で、さらに侮蔑されたような気がしたのだ。そんなつもりなかったと晴樹は言うかもしれないが、事実そう感じたのだからどうしようもない。
それからというもの、佐原は極力クラスメイトなどとの会話やコミュニケーションを避けるようになった。もうあんな思いはしたくなかった。
高校生活は一人で過ごしてばかりだった。会話は必要最低限しかせず、クラスメイトの中で佐原の声を覚えているやつは誰もいないだろう。それはきっと中学時代の友人が見たら別人かと思うほどの変わりようだったに違いない。会話どころかまともに他人の目を見ことすらできなくなっていた。
高校を卒業して社会に出れば、もしかしたら徐々に改善されていくのかもしれないと思っていたのだが、どうやら自分が抱えている傷というものは思っている以上に深かったようだ。なかにはフレンドリーに接してきてくれる人もいたが、どうしても反射的に距離をとってしまい、結局親しい間柄になることはなかった。嫌な思いをしなくてすむ反面、本音の部分では寂しさを感じていた。
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