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 目が覚めるともう夕方だった。普段であればそろそろバイトへ行く支度しなければならない時間帯だったが、この日はお休みだった。本来であれば目覚めたら朝のはず、昼夜逆転生活の場合にはもう夕方になるためいつもなんだか損した気持ちになっていた。目覚めの一服をしたあとは、冷蔵庫から今朝仕事終わりに買ったチューハイを取り出し一気に飲み込む。  テレビにはイカをモチーフにしたキャラクターがインクを武器に戦うゲームの動画が流れていた。関西弁の実況者が面白おかしく実況しながら、器用にも上手なプレイをしている。佐原もそのゲームを持っているのでよくプレイするのだが、実況者の足元にも及ばないほど下手だった。オンラインでの対人バトルなので、負ければ叫びたくなるほど腹が立つ。買ったときはすごく楽しいのだが、割合でいうと負けのほうが多いため、続けるのは精神衛生上良くない気がして、最近はプレイ動画を見るだけにしていたのだった。  いい感じにチューハイのアルコールが全身を巡っていた。時間を気にせずゴロゴロしているこの状況に心地よさを感じつつ、テレビを見ながら手探りでタバコを探る。勢いよく振った手はチューハイの缶に当たり、その勢いで缶が弾き飛ばされた。  「カーペットが濡れたかな。拭くのめんどくさ」などと考えつつ視線を向けると、チューハイの液体が煙草にじわじわ染みていくところだった。 「ちょっと、嘘だろ」  慌ててチューハイにまみれた煙草の箱を持ち上げるが、ポタポタと滴り落ちている液体の量からして浸水状況は明白だった。缶の中にはまだまだチューハイは残っていたらしい。開封したばかりにも関わらず、ほとんどの煙草が濡れてしまっていた。もはや怒りを通り越して情けなさがこみ上げてきた。ちょっとした不注意でこのざまだ。  よくみると吸いかけの煙草の箱のみならず、近くにおいていたカートンもチューハイまみれになっていしまっている。開封していないので中身には問題ないだろう。だが、このままにすると表面がベタベタしてしまうので全て綺麗に拭かなければならない。絶望的にめんどくさい。  取り急ぎ新しい煙草を何箱かだけでも買わなければと近所の自販機へと向かった。歩いて数分なので、わざわざ少し遠いコンビニまで行かなくて済むだけでもまだ救いだった。日が傾いてきており、ほとんど夜に近い感じになってきている。  思わず立ち止まった。このくらいの時間の空を見るのが好きだった。オレンジとピンクとパープルの三色が曖昧な境界線でありながらも層になっていて神秘的なのだ。ただ日が沈んで夜になっていくというだけでしかないのに、何かの終わりを感じてしまうのが不思議だった。誰かに何かを教えてもらったわけでもない。遺伝子レベルでそう決められているかのように、物悲しさを覚えるのだ。立ち止まってから十分ほどであっという間に真っ暗になっていく。肌寒さすら感じさせる季節が近づいてきたようだ。  自動販売機には非常に多くの煙草が用意されていた。全て味や銘柄が異なっているかのようだが、実際のところ違いがあるのかわかっていない。比べてみるとたしかに違いを感じるのだが、それは銘柄が違うという先入観からきているプラシーボ効果の可能性もあった。煙草の原材料には詳しくないが、煙草の葉っぱにそこまでの種類がある気はしなかった。それでも吸う銘柄は決まっていた。小銭を投入してその銘柄のボタンを押す。未成年者に購入させないためのライセンスカードを読み取り部分にかざすと、がたんという音を立てて煙草が落ちてきた。どうせ明日になればカートンで買い直すとはいえ、万全を期すために三箱買うことにした。  周囲は驚くほど真っ暗だった。街灯なんてものはないので、唯一の明かりが自販機の発するまばゆい光だけだ。光の届かない部分はまさに闇だった。これが都会であれば至るところに光源があるのだろうが、ここは山梨、なんの変哲もない田舎だ。光どころか音だってしない。とりあえず買ったばかりの煙草の封を切り、一本口に咥えると百円ライターで火をつけた。  煙草の煙が体に染み込んでいく。同時にストレスが発散されるような感覚に陥る。冷静に考えるともはや中毒だ。面倒だと感じながらも我慢できないのだから、中毒以外の何物でもないだろう。それでもこの国では、というより世界ではこれはあくまでも問題がないものとされている。覚せい剤などの薬物は駄目だというのにだ。その違いについて考えたことはこれまでにもあったが、イマイチ納得はできていない。他人に危害を加える恐れがあるものは駄目ということなのか、でもそれだとお酒はどうなるというのだろう。アルコール中毒というものがあるのだから、確実に依存性は高い。にもかかわらず規制は薬物ほどではないのだから納得がいかない。お酒は好きだ、規制されては困ってしまう。しかし、それとこれとは話が違うだろう。そこまで考えたところで、煙草のほとんどが灰へと変わっていることに気がついた。  喉が渇いたので自販機で缶コーヒーを買う。少し肌寒い時期になってきているが、構わず『冷たい』を選択する。ホットコーヒーはあまり好きになれなかった。買ったばかりのアイスコーヒーを一口含むと、二本目の煙草に火を着ける。  おもわずため息が漏れてしまった。明日になれば車の保険会社から電話が来るだろう。ぶつけてきた相手とのやり取りなんて時間の無駄でしかないのだが、こればっかりは仕方がない。今日一日を振り返るとロクなことがなかったと思う。普段から大したことのない日常ではあるのだが、それでも今日は散々な結果だった。怒られたり謝られたり一体なんだと言うのだろうか。この先もこうして時間だけをただ浪費していくしかないというのか。それはあまりにも悲しいことのように思えてしまう。  高校受験の合格発表の日、自分だけが不合格だったことによって大切な友達との関係性はそれまでとは一変してしまった。それからというもの、人間関係自体が苦手になってしまい、いまだに気さくに話せるような相手はいない。というよりそんな相手を求めないようにしていた。またなにかのきっかけで関係が壊れてしまうのが怖くて仕方がなかった。しかし、佐原は誰かを必要としていた。友達と呼べる存在をずっと求めていたのだった。行動に移すことができなかったのはただ怖かったからだ。
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