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 翌日出勤すると、東野さんが不意に話しかけてきた。 「佐原さん、仕事の後ちょっとだけご飯どうですか? 僕おごるんで」 「え…いや悪いからいいよ」 「ご飯って言ってもラーメンなんで大丈夫ですよ。それにポイントカードが溜まったから一杯無料なんで」 「そうなんだ…でも俺なんかに使ったらもったいないでしょ」 「全然そんなことないですって。じゃあ仕事終わったら休憩室で待っててくださいね」  そう言い残して東野さんはどこかへ行ってしまった。仕事終わりに職場の人と食事なんて初めてだったし、東野さんともそこまでの仲ではないはずなのにどうしたというのだろうか。面倒なので断るつもりが押し切られるような形で結局行く流れになってしまった。さすがにしらばっくれて帰るわけにもいかず、約束通り仕事が終わると休憩室で待ち合わせをして二人それぞれの車で移動することになった。 「どうです? 美味しくないですか?」 「うん、割と好きな味かもしれない」 「気に入ってもらえたならよかったです。万が一お口に合わなかったらと思ってちょっと心配してたんです」 「家系はそもそも嫌いじゃないから」 「ならよかったです」 「あのさ、今日はどうして誘ってくれたの?」 誘われてから思っていたことを率直に聞いてみた。 「普段からラーメンは一人で食べに行くことが多かったので、たまには誰かと美味しさを共感しながら食べたいって思っていたからですかね」 「他に仲のいい友達とかいるんじゃないの? どうしておれなんかを」 「まあそうなんですけど…」  あまり話したくなさそうな雰囲気だったが、つい気になって聞いてみた。どうやらよくラーメンを一緒に食べに行く仲のいい友人がいるらしいのだが、数日前に些細なことをきっかけに仲違いしてしまったようだ。とはいえ、ラーメンくらい一人で食べればいいのではと思ってしまうが、おごりなら快諾してもらえるだろうということで佐原に白羽の矢が立った。 「なんかすいません。でも佐原さんとは普段なかなか話すことなかったからいい機会だなって思ったのも本当なんですよ」 「でもまあ、おごりでこんな美味しいラーメンを食べられたから俺は別にいいんだけどさ」 「そう言ってもらえるとなんか助かります」 「それで…友達とは仲直りはできそうなの?」 「どうなんでしょうね。友達の中でも一番ってくらい仲がいいやつなんですけど、まさかこんなあっさり喧嘩しちゃうなんて思いもしなくて」 「そう…」 「こんな感じで喧嘩したことないから…どう仲直りしていいのかもわかんないんですよ、正直」  晴樹のことを思い出した。そうだ、仲直りの仕方がわからなかったのだ。わからないままここまで来てしまっていた。 「きっと素直にごめんって言えばいいだけだと思うんですよ。ただそれだけのことだってわかってるんですけど、なかなかその一言が言えなくて」  何も言えなかった。ここで気の利いたアドバイスができるくらいなら、とっくに晴樹との関係だって修復できているはずだ。レンゲを使ってスープを飲む。シンプルで鮮烈な塩味が口内に広がった。ため息交じりの東野さんの言葉を聞きながら、麺をすする。もちもちとした食感をしたやや縮れた麺を噛みしめながら、器にたっぷりと満たされている金色に輝くスープを眺める。清湯スープというのだろう、前に読んだラーメンを題材とした漫画で得た知識だ。そのスープをぼーっと眺める。  晴樹との関係性がおかしくなったあの時、とても大きなショックを受けたが、東野さんの話を聞いて改めて考えるとそれほどのことじゃなかったと思う。当時は不合格が心底ショックだったのだろう。人生における初めてであり最大の挫折だったのだから。その認めたくない気持ちを都合よくすり替えたのだ。いわば八つ当たりに近い。そう思うと途端に後悔の念に駆られた。なぜあんな些細なことで仲違いしてしまったのだろう。いつまでも大袈裟に引きずって、何故いまだに孤独に逃げ込んでいるのか。 「佐原さん、聞いてます?」 「ああ、ごめん。まあ…詳しいことはよくわからないけど、もしもこのまま仲直りできなかったとしたらきっと後悔すると思うよ。それだけは間違いないんじゃないかな」  本音だった。晴樹とのことをいまさらになって激しく後悔している、まさに心の底からの進言だった。 「なんか佐原さんからそんな言葉かけてもらえるなんて意外です」 「いやべつに。だって嫌いになったわけじゃないんでしょ?」 「嫌いじゃないですけど、このまま連絡取らなくなるならそれもそれで仕方ない気がして」 「まあね…その程度だったんだなって気もしちゃうよね」 「いつも一緒にいるからって、この先も一緒にいたいかどうかってまた違いますよね。喧嘩してなんか急に冷静に考えちゃいました」 「でもさすがに急すぎない?そこそこ長い付き合いだったんでしょ?」 「付き合いの長さってそんなに重要ですか?」  その言葉に、レンゲを持つ手が思わず止まった。何かが引っ掛かった。 「どれだけ長い時間を共有してたとしても、嫌いになったら一瞬で終わりじゃないですか。それに知り合ってちょっとしか経ってないのに一気に仲良くなることだってありますよね?」 「付き合いが長いほど好みとかが合うってことになるから、親密さは違うんじゃないかな」 「確かにそうかもしれないですけど、ただ先に出会ったっていうだけで実は同じタイミングで出会ってたら違う可能性もあると思うんです」 「まあね…でもなんか話が飛躍してない?それじゃまるでもう仲直りしなくてもいいような感じじゃん」 「はは、ほんとですね。でも佐原さんと話してたらなんかそんな気もしてきちゃいました」 「勘弁してよ。それじゃまるで俺のせいみたいになっちゃうじゃん」  そのあとはたわいのない話題でなんだかんだ話が弾んだ。ラーメンを食べ終わると、店の駐車場で解散した。車で帰宅する道すがら、晴樹とのあの日の出来事が頭から離れず、会話のやりとりを反芻していた。晴樹との関係を元どおりにしたいという気持ちがじわじわと溢れてくる。だが、仲直りなんて今更したところでなんの意味があるというのか。それに、きっと晴樹は俺のことなんかもう覚えてすらいないだろう。あの出来事からもう十五年近く経っているのだ。今更になって何のきっかけもなしに仲直りなんて、逆の立場だとしたら不気味にしか感じないと思う。  それでも、この先前向きに生きていくためには逃げてはいけないことなんじゃないかという感覚が佐原にはあった。このままではより腐っていってしまう一方だ。いまこの感情を大切にして、鬱々とした毎日を抜け出さなければならない。  そのためにも、まずは晴樹の連絡先が必要だ。しかし、晴樹は疎か当時の同級生の連絡先を一切知らなかった。
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