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都は河川敷を降りて背後から老人に近づき、スケッチブックを覗き込んだ。
肩越しに見える彼の手元には、鉛筆で空が描かれている。素人目にもかなり上手かった。
「あの」
勇気を出して、声を掛けた。見られていたのが分かっていたようで、老人は驚きもせずにゆっくりと振り向く。頬の痩けた彼の笑顔は、なぜか都の胸を突き通した。
「きれいな絵ですね」
絞り出した都の褒め言葉に、彼はスケッチブックを見つめた。そしてまた肩越しに振り返る。
「……ありがとうございます」
微かな掠れた声だった。
若者に対してもえらく腰が低い。でもそれは彼の纏う雰囲気にしっとりと馴染んでいた。
「……じゃあ」
「はい」
それ以上話が続かなかったので、都は急いで河川敷を後にした。首を流れる汗が冷たかった。
焦点の合わない老人の目には、何も映っていない。手の指の間から砂粒が零れ落ちるような錯覚がした。
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