3 〇〇、はじめました

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3 〇〇、はじめました

 夏本番。  外は(せみ)の鳴き声がひっきりなしに続き暑苦しかったのに対し、この部屋は静かで涼しい。エアコンはやはり必需品だ――ならば高額のバイト代は捨てがたい。 「お前はの存在を信じるか?」  沈黙のあとの唐突な質問だった。  俺はいちど頭の中で整理してから話し始めた。 「死を司る伝説上の神であって、人の心の中に宿る存在。実在はしないと思います」 「ふんっ。つまらん回答だな」  なんだかバカにされたように感じたので、意地になって言葉をつけ足してしまった。 「でもですよ。前もって人の生き死にがわかってしまう者がいたとしたら。もしくはそれに準ずる能力を持った人がいたとしたらですけど、その人は自分を死神だと思ってしまうかもしれませんね」 「ほほう。例えば?」 「それは、わかりませんが……」 「予知夢ならどうだ」 「…………」 「私はその予知夢が見られるのだよ」 「その恰好ってもしかして」  死神のコスプレだったとか? 「まずは形から入るのが日本人だ」  なるほど。彼女自身が死神だと言いたかったらしい。俺の名前も、部屋のクーラーが壊れたことも予知夢で知ったということか。 「肝心なことを伝えていなかった。お前、8月9日に虚血性心疾患(きょけつせいしんしっかん)で亡くなるぞ」 「きょけ・つ・せい……」 「心筋梗塞(しんきんこうそく)だ。もっとわかりやすく言えば心臓発作のことだ」  話しに続きがあることは薄々わかっていた――未来予知だけなら自分を死神とは思わないだろうから。 「なにか確信はあるんですか?」 「そんなものはない」  即答だった。 「…………」 「なーに、と思えばよい」 「…………」 「いつまで黙っておるつもりだ。こっちは善意で、しかも、費用をかけてまでお前の命を救おうと言っておるのだぞ。信じられないなら勝手に後悔しながら絶命しな」  エアコンが壊れたままでは、熱中症で死ぬ可能性だって(いな)めない。俺に選択の余地はなかった。 「全面的に信じることにします。はい」 「よし。契約成立だな。私は立花朱理(たちばなあかり)、今日からお前の主治医だ」 「でも具体的になにをやるんですか?」 「まずは科学的アプローチから始めて、予知夢が変化するかの確認からだ」  詳説(しょうせつ)が終わると健康診断用紙が手渡された。 「おい。その手首に巻かれた包帯はなんだ」 「ああ。これはたんなる火傷ですよ」 「なんなら一緒に診てやろうか?」 「大丈夫です。もう痛みはありませんので……」  とっさに嘘をついてしまった。  これは俺が願ったことに対する代償であり、また(いまし)めのようなものなのだ。当然痛みも(ともな)う。 「おい、ぐずぐずしている暇はないぞ。まずは血液検査からだ」 「あっ、はいっ」  こうして9日間に及ぶ俺の被験者体験が始まったのだった。
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