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きっと僕は、いつまでもあの場所にいることができた。太陽が傾きさえしなければ、時間が経っていることに気づくこともなかったと思う。
僕が名残惜しんでいるうちに、登山道の方から一人の男の人がやってきた。歳は二十代半ばくらいの、掴みどころのない雰囲気の人だった。その人は服装も身軽で、登山慣れしているのか涼しげな顔をして僕に挨拶をした。その時僕は珍しく人と話すことを不安に思わなかった。
「山登りは好き?」
会話の初めにしては突拍子もなかったけれど、僕は気にしなかった。
「まあ、はい。・・・今日が初めてですけど」
「っていうことは、この辺りの子じゃないね?」
「はい。祖父母の家が近くにあって、普段は東京です」
「そっか。俺も今はもう住んでないんだけど、実家に帰って来た時は、この辺りの山を片っ端から登り回ってるんだ」
変な奴だろ―と男の人は笑った。
「すごいですね。そういった登山関係の仕事をされているんですか?」
「いいや。完全に趣味。普段はスーツ着て会社で働いているよ。登山は休みの日だけ。おかげで貯金はできないし、彼女はできないし」
その人の顔が輝いて見えたのは、夕日に照らされていたから―というだけではなかったと思う。
「俺、いろんなところで山に登ってるからさ、君も登り続けていたら、またどこかで会うかもしれないね。・・・じゃ、そろそろ暗くなるから山を降りようか」
男の人が来たのは、僕と反対の道からだった。僕はしっかりとお礼を言って、僕らは別れた。颯爽と山を下っていくその人の背中を見送った後、沈みかけた夕日を僕は写真に残しておきたくなった。
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