取り残される夏は子犬の形

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 その子は次の日も、その次の日も来た。その子はミチコという名前なのだと教えてくれた。ミチコはぼくといっしょにいたがった。でも家の人がやってくると、その人が大人でも子どもでも、すぐにさっさと逃げてしまった。  親せきの人達はミチコをどう扱ったものか悩んでいるみたいだった。 「どうしたもんかねえ。いつもフラフラ一人でおって、きみが悪いねえ」 「えーでもさ、おばちゃん、この辺ちっちゃい子とか全然いねーじゃん。ウチらだってバスで中学行ってっし、ガチ田舎すぎんだって。たっちゃん、ぬいぐるみみたいで可愛すぎるから気になんのもしゃーなしじゃん。なー?」 「そーそー。なんなら俺らが遊んでやってもいんだけど、すっげー逃げられるんだよなあ。ひどくね?」 「そりゃあんたらが髪赤くしてっから恐ろしいんじゃろ。まったく最近の子どもは」 「しかし、あそこの家も素っ気ないというか、なんというか。一家で越してきたゆうけど、挨拶に行ってもろくすっぽ出やしない。そのくせおすそ分けはきっちり受け取るんやから、なんともなあ」  ああだこうだと言い合う親せきの中で、お父さんやお母さんも、ぼくに何かあったらたまったものじゃないと心配そうにしていたけど、ぼく自身は特に不安じゃなかった。ミチコはやさしいし、いつもお菓子とかの食べ物を持ってくる。悪い子じゃないとぼくは思うからだ。  ぼくが部屋の中でお兄ちゃんやお姉ちゃん達がうるさくゲームをしてる横で横たわっていると、遠くからぼくを呼ぶミチコの声が聞こえる時がある。そういう時はありがたくサッサと外へ出た。お兄ちゃん達がゲームに興奮するあまり、ぼくの体を乱暴に抱っこしたり、ほっぺをつままれたり、頭の上で怒鳴り合いのケンカをされて、ちょっとうんざりするからだ。  ミチコといっしょにクッキーをかじりながら庭の木の下でぼんやりしていると、蝉の声や木がそよぐ音、太陽の光がサンサラシャラリと輝く音なんかが川のせせらぎみたいに聞こえてきて、胸の中がスッと静かになる感じがする。ミチコのむき出しの腕は汗がぬめるように照り、しょっちゅう首筋をぬぐっていた。ぼくも暑くて息を荒くさせながら、木陰に座って、ミチコの話をぼんやり聞いていた。  ミチコの話は難しくて良く分からなかったけど、どうやらいつも一人でいて、家族にもあまりかまってもらえないらしい。だからぼくのところへ遊びにくるのだと、ぼくを腕の中に抱えながら言っていた。お母さんと違っておっぱいがあんまりないミチコの胸からは、トクトクと心臓が動く音がとてもよく聞こえる。それが心地よくてぼくはつい、うとうとしてしまう。  でもたまに、服からキラキラ光る小瓶みたいなものを出してあのしつこい花みないなニオイがする水をシュッシュと振りかけるのはイヤだった。ミチコはしきりに小瓶を出しては眺め、宝物のようにまた服の中へしまった。そうしないと不安でたまらないような様子だった。 「あんたがあたしの家に来たらいいのに。そしたらたくさんご飯もあげるし、いっぱい遊んであげる。ずっとずっといっしょにね」  ミチコはしきりに、水面に揺らぐ光のような目で、ぼくに向かってこう言う。そんな事を言われても、ぼくにはもう家があるし、家族もいる。お父さんはたくさん遊んでくれるしお母さんもご飯とかの世話をしてくれる。だからミチコの家に行く理由はないんだけど、ミチコがさみしそうにぼくの目を見つめてくると何も言えず、その細く、熱のこもった太ももに顔を持たれかけさせることしかできなかった。ぼくがそうやるとミチコは満足そうに笑う。するとくすぐったいような、照れくさいような気分になった。  ある日、ぼくがひとりで外を散歩してから戻ってくると、ミチコが縁側の下の石に腰かけてじっとしているのに気が付いた。全然動かないから心配になってのぞき込むと、ミチコの額はすごく熱くなってて、苦しそうにハアハアあえいでいた。だから慌ててぼくは人を呼びにいった。  親せきの人たちはすぐにミチコへ水を飲ませたり、涼しいお座敷で寝かせてやったりしてたけど、おじいちゃんはものすごく怒っていた。そんな様子をぼくは初めて見たから、怖くて、ずっとテーブルに潜り込んでいた。  夕方に知らない車が門の前で止まって、大きな男の人がぺこぺこ頭を下げながら出てきた。その人は家の玄関に入って、しばらくおじいちゃん達と話す声がして、やがて玄関から出たお客さんに抱えられたミチコが、車の中へ運ばれていく。  その様子をテーブルの下からうかがっていると、気のせいか、ミチコと目が合った気がした。  ──ミチコは、怒っている。  か細い声が聞こえた。 「オボエテロ」  ぼくはどうしようもないまま、車がゆっくりと遠ざかっていくのを見送った。  空は暗くなっていき、ほの白い満月がうすぼんやりと現れる。生ぬるい風がぼくの顔をなでた。
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