取り残される夏は子犬の形

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「本当に、本当に申し訳ございません。お宅の子をつい、誘拐みたいな真似を」 「真似だと? 誘拐そのものだろうが! 子どもがいない娘がどれだけあの子を可愛がってるか分かっとるのか! お前さんはどんな教育をしとるんだ!」  おじいちゃんがものすごく怒っている。一方、泣きじゃくるミチコと手を繋いだ男の人はずっと頭を下げている。 「申し訳ございません……母親がいないせいで、その、寂しい想いをさせてしまっているのは分かっているのですが、なにぶん仕事が忙しくて」 「お父さん、もう良いじゃないですか。ターも無事だったんですし」  お母さんが言うと、おじいちゃんはむぅ、と納得いかなそうに腕を組んだ。 「弁償が必要ならいくらでもします。だから、どうか、穏便に」 「弁償などいらん! 貴様は何も分かっちゃおらん! これだから都会もんは!」 「お父さん!」  あまりにも恐ろしい雰囲気で、ぼくはお母さんの足元でおびえる。すると、ミチコがしゃくりあげながら、 「だって、だって、ともだちも、だれも、いないんだもん。嫌だったのに、みんな、おわかれだって……パパが悪いんだもん! あたし悪くないもん! パパもおばさんもおばあちゃんもみんな嫌い! 大っ嫌い!」 「みちこ!」  男の人の手が振り上げられた。と、その手をおじいちゃんがガシッと掴む。驚いたように男の人がおじいちゃんを見た。  タバコくさい息が、おじいちゃんの口から炎のように吐き出される。 「子どもをどついて性根が変わるんか? え? お前さん、子どもが話す事ちゃんと聞いたことあるんか? 子どもの言う事を聞かん大人が言う事を、聞くわけないだろうが! そういうところが気に食わんわ!」 「まあまあ、お義父さん。ええと、ハセガワさん。子どものしたことですから、僕達は大事にするつもりはありません。それは妻も同じ気持ちです」  お母さんがこくりと頷く。ぼくのお父さんは、続けて、 「あえて言うなら、みちこちゃんと向き合ってあげてください。それだけが、僕達が望むことです」  真剣な声でお父さんが言う。お母さんはしゃがんで、ミチコと目を合わせ、優しい声で話しかける。 「みちこちゃん、さみしかったのよね。だからうちの子と遊びたかったのね。でも無理矢理連れてくるのはダメなの。それは分かる? だから、それだけはごめんなさいして欲しいな」  ミチコは少し黙ったけど、ぽつりと、ごめんなさい、と呟いた。お母さんがいい子ね、とミチコの頭をそっと撫でた。すると照れくさそうにミチコは足をもじもじさせる。ミチコのパパは不満そうにそれを眺めていた。  雨がやみ、辺りを包む夜の暗闇のさ中へ、ミチコ達はトボトボと入っていく。どこからか虫の声が何重にもなって、少し涼しくなった空気を震わせる。なんとなく、もう会えないのかもしれないという気分になって、ぼくはうつむいた。  ほっとしたような、さみしいような、糸ががんじがらめになったような気分で、全身にまとわりつく外の熱い空気が余計にうっとおしく思えた。 「まったく、なんなんだあの態度は。娘っ子も子どものくせに香水なんざプンプンさせおって、不愉快だ」 「想像だけど、もしかしたらあの香水、みちこちゃんのお母さんのなのかもね。お母さんといっしょにいる気分になるから、いつもつけているのかも」 「ああ。そうかもな……」  おじいちゃんはタバコをすぱすぱ吸いながらぼやき、お父さんとお母さんはしんみりと、ミチコ達が消えた方向を見ながら言い合う。  ぼくは、ぼくを抱えて屋敷に帰る途中、ふたりが「私達だったら、たくさん可愛がってあげられるのに」と、とっても小さな声で、残念そうに話していたのを思い出す。そうしたらなんだか急に寂しくなって、ぼくはお母さんとお父さんの足の隙間に体をねじ込んで、つま先を舐めた。すると軽く笑いながら頭を撫でられる。 「ターも怖かったよな。大丈夫だよ、もう離れないから」  台所の方から、スイカが切れましたよお、という声がして、わあとお兄ちゃんやお姉ちゃん達が喜ぶ声が、玄関まで響いてきた。 「おばちゃーん、おじちゃーん、もう気にしないでスイカ食べようよお。たっちゃんも大変だったねえ。ほら、から揚げあげる」  おねえちゃんがひょっこりとお座敷から顔をのぞかせ、から揚げをぼくに向かって投げた。ぼくが喜んでそれをくわえると、お父さんが渋い声でたしなめる。 「こーら、あんま人の食べ物上げないでくれよ。ついでだけど、お義父さんも、勝手にターの綱を外さないでください。また今回みたいなことになったらどうするんですか」 「ふん、昔から自由にさせてやってんだ。せまっ苦しい家で閉じ込められる方が可哀そうだろうが」 「もう。今どきは違うんです。そんな事言うんなら、来年からは絶対帰省しませんからね、お父さん。──子どもの言う事は聞くものでしょう?」  お母さんがたしなめると、おじいちゃんはぐうの音も出ない顔になった。  ぺろりとから揚げをたいらげたぼくは、なんだかおかしくなって、ワンと鳴いてじゃれついた。      終
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