転生して砂糖の妖精になった私は、イケメンパティシエの元でスイーツを堪能しています

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私の名前はシュクル。 前世は武本瞳というOLだったけれど、なぜか生まれ変わって今は砂糖の妖精だ。 瞳はとても甘いものが大好きだった。 朝昼晩、それにプラスで3回のおやつタイムも設け、毎日欠かさずお菓子やケーキを食べる。 当然そのせいで普通の女性の3倍以上も太っていたんだけど、前世の私は他人の目なんか気にする質ではなかったので、デブや汗臭いや体型管理ができない心の弱い人間と陰口を叩かれても大好きな甘いものを食べられればそれだけで幸せだった。 だけどそんな食生活がたたってしまい、若いのに糖尿病と高血圧を患っていた私は心臓に血栓が詰まったのか、ある日今まで経験したこともないような胸の痛みであっさりと死んでしまった。 自業自得だとわかっているが、だからと言って甘いものを食べなければよかったという後悔は微塵もない。 むしろ普通の人よりも何倍も多く甘いものを口にすることができたので、寿命を全うするよりも有意義な一生を送ることができた。 そんな私だったからかはわからないけど、今世では砂糖の妖精に生まれ変わり第二の人生を謳歌している。 「シュクル、仕上げの鱗粉よろしく」 「はいはーい!」 焼きあがったばかりのフルーツタルトに上から羽を震わせて鱗粉をかけると、フルーツにきらきらとした光の粉がついてより一層美味しそうに見えた。 「わー、すっごく美味しそう」 「こらこら、これは売り物なんだからゆだれ落とすなよ。シュクルには別に用意しているから、大人しく待っているんだ」 美味しそうなタルトを前にゆだれを垂らして見ていると、イケメンパティシエのグラシアン・フォンテーヌが優しく私をたしなめる。 いくら私でも人に売る商品に唾液を落とすような間抜けじゃないですよ――っとと、やば、ちょっとおちちゃった。 グランにはバレてないよね……?。 そっと横目で見ると、すでに彼は別の作業に入っているようで、私の失敗には気づいてないようだ。 危ない危ない。 普段温厚な彼だが、スイーツに関することになると途端に厳しくなる。 ゆだれを落としたとバレたら絶対に殺される。 彼にバレないようにタルトにそっと浄化の魔法をかけて、今のできごとをなかったものにした。 これで一安心かな? グラシアン――言いにくいので私はグランと呼んでいるんだけど、彼との出会いはここ、『銀の妖精』という彼が経営するスイーツ店の厨房の中だ。 死んだ私は何故か砂糖壺の中で妖精として生まれた。 妖精が砂糖の中から生まれるっていうのは私の感覚で言ったらとても不思議なことなんだけれど、こちらの世界では妖精はどんなところからでも生まれるらしい。 火の妖精だったら焚火の中から、水の妖精だったら井戸の中から、風の妖精だったら嵐の日に、というような感じだ。 どこからでもぽんぽん生まれる訳ではないのだが、魔素が溜まる場所に時とタイミングが合えばたまに生まれてくるそうだ。 それが私の場合、彼の厨房に置いてある砂糖壺の中だったという。 最初私はそこが砂糖壺の中だとわからなかった。 胸が苦しくてあ、自分死んだなっと思ったんだけど、気づいたら私はざらざらとした砂の中に埋まっていたのだ。 苦しくて必死に這い出したら甘い香りがしたので砂を舐めてみるとすごく美味しかった。 甘いものを前にすると食い意地の張る性分の私は、思わずぺろりと全部食べてしまったのだ。 自分の身体よりも何倍も量のある砂糖を食べることができた自分にビックリしたけれど、そんなことよりも甘いものを食べることができた満足感に満たされて深くは考えなかった。 食べて眠くなってうとうととしていたら急に地面が揺れた。 バランスを崩してひっくり返ると、急に空が明るくなる。 頭上に巨人の顔があったので、そのときは心臓が止まるほどビックリしたのを覚えている。 1度止まって心臓が止まる苦しさを体験しているので、2度とごめんだけどね。 「きゃ! 巨人! 私食べても美味しくないから見逃して!」 中で丸まってぶるぶる震えていると、空から呆れた声が返ってきた。 「食べたのはお前だろ。ったく、大切な砂糖を全部食べやがって。鍵かけてたのにどっから入って来たんだ? いや、ということはもしかしてこいつ、砂糖の妖精か?」 何やらよくわからないことをぶつぶつと彼は呟く。 食べられると思ったがこの様子では私を食すつもりはないらしい。 安心したら彼を観察する余裕ができた。 金の睫毛に縁どられた甘い翠玉の瞳に知的に真っ直ぐ整えられた眉。 形の整った堀の深い顔立ちに色気のある少し厚めの唇。 海外モデルもビックリするようなイケメンが目の前にいた。 こんなにカッコいい人を生で見たことがないので、普段男の人に興味がない私もついつい見入ってしまった。 長いブロンドを後ろに1つに纏めている頭に白い帽子を被り、染み1つない同色の厨房服を身につけてる。 服装からして、彼は料理人か何かなのだろうか。 「お前、砂糖の妖精なのか?」 砂糖の妖精がなんなのかわからなくて、首を傾げると彼は溜息をついた。 「生まれたばかりだから自覚がないのはしょうがないんだろうけど、お前が砂糖を全部食べてしまったせいで大事な客に渡すケーキを作れなくて困っているんだ。砂糖の妖精の鱗粉は銀砂糖と呼ばれる砂糖だ。もし少しでも俺に迷惑かけたっていう自覚があるなら、お前の鱗粉を分けてもらえると助かるんだが」 彼は困ったように眉を下げて頭の後ろを掻いている。 もしかして私がさっき食べてしまったのは、彼が料理に使う砂糖だったのか。 知らなかったとはいえ人のものを勝手に食べるなんて最低だ。 「わ、わかった! どうしたらいいのかわからないけど、力になれるなら何でもするよ!」 「おお、助かるよ。ありがとな」 人の好さそうな笑みに思わずドキッとしてしまう。 イケメンの笑顔には破壊力があるとは知っていたけど、生で見るとその威力は人の心臓を簡単に止めてしまうのではと思った。 2度も3度も止まるとか、どんだけ私の心臓は脆いのよ! 自分にツッコミながらできるだけ直視しないように、少しだけ視線を外した。 「でもどうしたらいいの?」 「砂糖の妖精が銀砂糖を出す姿を一度だけ見たことがあるんだが、そのときは羽を震わせて鱗粉を落としてたな」 後ろを見ると、私の背中から羽が生えていた。 形は蝶の羽に似ているけれど、全体的に青みがかった半透明だ。 もしかしたら死んで妖精に転生したのかもしれない。 異世界転生ものの小説を好んで読んでいたので、自分に見慣れない羽が生えているのを見てすんなり受け入れることができていた。 でもフィクションの世界だと思っていたので、まさか自分の身にこんなことが起きるとは。 ぱたぱたと、特別意識を向けなくても歩くのと同じ感覚で羽を動かすことができた。 地面を蹴るとそのまま宙に浮く。 飛び立つと部屋の全体像が見え、どうやらここは厨房のようだ。 調理器具やオーブンなどの設備が置かれている。 私がさっきまでいたのは作業台に置かれている陶器でできた砂糖壺のようだ。 結構大きめの容器なので入っている量は多かっただろうけれど、私はぺろりと食べてしまった。 妖精の胃袋はブラックホールなのだろうか。 いやいや、そんなことを考えている場合ではない。 彼に迷惑をかけてしまったのだ。 転生者の私にどんなチート能力が備わっているのかわからないが、自分を信じて砂糖を出さなければ。 壺の縁に外側を向いて立ち、羽を小刻みに震わせる。 するとパラパラと銀色の粉が落ちていった。 「まさかとは思ったけど、本当に砂糖の妖精だったんだな」 口元に手を当て、彼は感心したようにキラキラした瞳で私を見つめる。 今まで誰かに感心されたことがなかった私は気をよくし、張り切って羽を震わせ続ける。 気がつくと壺から溢れるほどの鱗粉が溜まっていた。 薄い羽のどこからこんなに大量に粉が出てきたのかはわからないけれど、これも私のチート能力の1つなのだろうと深く考えないことにした。 「その砂糖の妖精ってなんなの?」 「名前のまま、砂糖から生まれる妖精のことだよ。色んなパティシエの元に訪れてはスイーツをねだるんだけど、それが今までで一番美味しければお礼に銀の砂糖をプレゼントするんだ」 「銀の砂糖って私が羽から出した鱗粉のことだよね」 「そうだ。まあ、この話はただのおとぎ話で、実際俺が見た砂糖の妖精は自分の服を作ってもらうお礼として銀の砂糖を復職店の主人に渡していたな。でも俺はいつかこのおとぎ話のように色んなパティシエの味を知っている妖精から、俺のスイーツが1番だと認めて貰えるようなパティシエになりたいんだ。だから砂糖の妖精に因んで俺の店に『銀の妖精』と名づけたんだ」 自分が店の名前の由来になっているのはなんとなく照れくさい。 けど同時に夢に向かって進む彼が憧れる妖精に生まれることができて誇らしかった。 「そうだ。もし行く当てがないなら俺のところで暮らさないか? 無理強いはしないけれど、妖精とはいえ屋根がある家に住んだ方が快適だろ」 「いいの?!」 「ああ。俺としても憧れていた砂糖の妖精が一緒にいてくれた方がスイーツ作りに張り合いがあるからな」 私がいた方がやる気が出るというならお世話になってもいいのかな。 それに何よりパティシエである彼といると甘いものをたくさん食べられるかもしれないし。 「そういうことならお世話になります!」 「おう、よろしくな。俺の名前はグラシアン・フォンテーヌ。えっと、生まれたばかりでも名前を持つ妖精がいるらしいけど、お前には名前はあるのか?」 前世の瞳という名前があるけれど、せっかく異世界に来て第2の人生をスタートさせるのだから新しい名前がほしい。 「ないからグランがつけてよ」 「そうだな。何がいいか……」 少し悩んだあと、そうだ、と彼は呟いた。 「シュクルってのはどうだ。砂糖っていう意味だけど、響きが可愛いと思わないか?」 確かに、シュークリームと名前が似ていて可愛いかも。 シュクルと名前を呼ばれるたびにシュークリームが連想できるから甘くて美味しい名前だ。 「うん! 可愛くて美味しい名前だね!」 「気に入ってくれたならよかった。んじゃ、これからよろしくな」 それから私はグランの店で寝泊りするようになった。 彼との生活はとても快適だった。 朝はご飯としてケーキやシュークリーム、タルトなど美味しいスイーツを作ってくれるし、売れ残った商品は全部食べさせてもらえた。 今まで売れ残りは廃棄していたらしいので、私が食べてくれて助かっているという。 その代り私は彼の仕事を手伝っている。 とは言っても身体が小さい私にできることには限りがある。 自分の身体よりも大きな調理器具を持ってスイーツを作る手伝いや洗い物が出来ない代わりに、彼が望めば羽から鱗粉を出した。 味は普通の砂糖と変わらないので私の砂糖を使ったところで劇的に味がよくなるという訳ではないが、仕上げに使うと見栄えがとてもよくなる。 今商品として並べられているスイーツの殆どは仕上げに私が鱗粉を振りかけている。 すると表面にキラキラとた銀色の粉がついて、高級感を演出。 しかも載せ方によっては可愛くなったり、冬になると雪をテーマにしたスイーツにもなるので重宝された。 仕上げの時にしか私の鱗粉は使わないので、暇な時間は街中をぶらぶらしている。 私が住んでいる街は別名スイーツの都と呼ばれているようで、名前の通り街のいたるところにスイーツ店が並んでいる。 この国の女王、ベアトリス3世が大の甘いもの好きで、王国を世界一のスイーツ大国にするために多額の資金を投資してパティシエを育成しているとかなんとか。 詳しいことはわからないけれど、とりあえず彼女のお陰で王都は世界中のスイーツが食べられる素晴らしい街になったのだ。 甘いものが好きな私には天国のような街だ。 しかもグランが話してくれたおとぎ話の影響か、砂糖の妖精である私はどの店に行っても無償でスイーツを食べさせてくれた。 よくどの店が一番美味しいのか聞かれるが、お店単位というよりもスイーツの種類や作るパティシエや気分によっても変わるので一概にはいえない。 その旨を伝えた上で感想を述べると、私の話は勉強になると関心してくれた。 正直に思ったことを伝えているだけなのだが、役に立っているのならよかったと思う。 今日もいつものようにスイーツ店巡りをして空が茜色に染まった頃、私は『銀の妖精』に戻った。 だがお店の前に見慣れない馬車が止まっている。 白を基調とした豪奢な装飾を施してある馬車だ。 たまに貴族の使用人が馬車でお店に来ることもあるが、こんなに豪華な馬車がお店の前に停車しているのを見たのは初めてだ。 誰が着ているのだろうとお店に入ると、中には10代半ばくらいの美少女がいた。 ストロベリーブロンドの緩やかなウェーブのかかった髪。 ぱっちりとしたピンク色の大きな瞳に小さな鼻と薄い唇。 ふっくらとした頬にはまだ幼さが残るが、可愛いというよりも美しいという言葉が似合う少女だ。 高価そうなピンクのドレスに身を包んだ彼女は背筋をピンと伸ばし、いかにも育ちがよさそうな風情を醸し出している。 店の前に止まっていた馬車の主は間違いなく彼女だろう。 お金持ちの商家の娘か、もしかしたら貴族のご令嬢なのかもしれない。 「グラン様、私との婚約破棄の件は絶対に認めません」 もしかしたらグランが作るスイーツのファンで、直接選びたくてお店に来てくれたのかもしれない。 そんな呑気なことを思っていたのだけど、彼女はどうやらスイーツを買いに来たのではないようだ。 「グラン、ただいま。どうしたの?」 「何よこの羽虫は。私とグラシアン様の話の邪魔をしないで頂けますか」 初めて言われた罵倒の言葉に、しゅんと心が悲しい気持ちで染まっていく。 「おい、シュクルは俺の友達だ。いくらお前でもそんな言い方は許さないぞ」 ふんと少女は鼻を鳴らしてそっぽを向く。 「ごめんな。こいつ根はいい奴なんだが、俺のことになるとムキになるんだ。気にしないでやってくれ」 「ムキになるのは当然です。私はグラシアン様の婚約者で未来の妻。それなのにいつも私をほったらかしにして、お遊びばかりしているからです」 はあ、とグランは首を振って溜息を吐く。 「その話は何年も前に解決しただろ。お前の両親にも話はついているし、お前もそのときは了承してくれたじゃないか。それに今の俺はパティシエになるために家とは縁を切っている。何の後ろ盾もない俺を今更お前の両親が認める訳ないだろ」 「そんなことはありません。私が投資して店が大きくなれば、きっとお父様も認めてくださります」 「俺は店を大きくする野心も人を雇う甲斐性も持ってない。それにさっきお前は俺の仕事をお遊びといったばかりじゃないか。そんなお遊びをオーギュスト様が認めるはずないだろ。だから諦めて帰ってくれ。俺はこれから閉店作業をしなきゃいけないんだから、お前がいると邪魔なんだよ」 少女は大きな瞳いっぱいに涙を浮かべ、今にも泣きそうになった。 私はどうしたらいいのかわからずおろおろしたけれど、グランは少女をキッと睨み付けた。 「わかりました。今日のところは帰らせて頂きますが、私は絶対にグラシアン様のことは諦めません。必ずお父様は私が説得致しますから」 寸でのところで涙を堪えた少女はそう言い放ち、店を後にした。 少女がいなくなった店内にはなんとなく気まずい空気が漂った。 「はーあ、めんどくせぇな」 そんな空気を切り裂くように、彼から盛大な溜息が零れた。 「さっきの子は誰なの?」 「俺の元婚約者のリリアーヌ・デュモティエ子爵令嬢だ」 やっぱり予想通り、彼女は貴族の娘だったようだ。 でも貴族の令嬢の婚約者ということは、グランも貴族だったということだろうか。 普段の乱暴な口ぶりから平民出だとばかり思っていたので、正直驚いた。 「なんだシュクル。俺が貴族出身に見えないって顔だな。まあ実際肌に合わなくて反発ばかりしてたんだけどな。結局親の反対を押し切ってパティシエに弟子入りしたから実質勘当だ。そのときに両家で話し合って婚約話は破談になったんだが、あいつはまだ俺のことを諦めきれてないみたいだ。ったく、こんな俺のどこがいいんだか」 「顔とか?」 「はは、それは言えてるな」 私が軽口を言うと、いつもの調子で笑ってくれたので内心ほっとした。 出会ってまだ半年だけれど、彼と一緒にいるのはとても楽しい。 そんな日常がまだ壊れないで欲しいと思った。 翌日の仕込みや後片付けをしている間、考え事をしているのかグランが少しぼーっとしているように思えた。 いつもは失敗しないのに卵を潰してしまうし、洗ったばかりのボールを落としてしまっていた。 いつもはそんな失敗はしないのに、気にしていないという風を装っていてもやっぱりリリアーヌのことで悩んでいるのだろうか。 でも部外者な上、私はもう人ではなく妖精だ。 そんな私が彼にしてあげられることなんてあるだろうか。 せめて元気づけてあげられたらいいなって思う。 今日はいつもより調子が悪かったはずなのに、要領がいい彼は手早く終わらせていつもと同じ時間に作業を追われて寝床につく。 お店では髪を後ろに纏めている彼だが、寝る時は降ろしていた。 長いブロンドと、1日の作業で疲れているのか少しけだるげな表情があわさると、艶っぽい雰囲気を醸し出す。 イケメンは3日で飽きるっていうけれど、彼に関しては毎日みても美しいという感想を抱いているので全く当てはまらない。 彼の枕の横に置いてあるクッションが私の定位置だ。 だけど今日は何となく心細くて、彼の胸元のシーツに潜り込む。 「どうしたんだよ?」 普段と違う私の行動を咎める訳でもなく、彼は優しい声音で訪ねてくれた。 「グラン、元気なさそうだから」 「そんなことないだろ。俺はいつも通りだよ」 「私人間じゃないから、こういうときグランの役に立てないのが寂しい。妖精だと悩みとか相談しにくいよね。もし私が人間だったら、友達としてグランを助けてあげられるのかな」 自分の心の内を零すと、彼は掌で私を優しく包んだ。 体温がじんわりと身体に染み込んできて、とても気持ちがいい。 「いつもシュクルには助けられているよ。妖精とか人間とか関係ない。おまえが来て、一緒にいてくれるだけで心の支えになってくれているんだ」 「そうなの?」 「ああ。それに俺は元々不器用だから親しい友人でも自分のことを話すことはめったにないんだ。そんな俺だからあいつは吹っ切れなくていつまでも俺に依存しちまってるのかもしれないんだが」 「グランはまだリリアーヌのことが好き?」 「リリーに対して恋愛感情は一度ももったことはない。最初に出会ったのがあいつが5歳で俺が14歳のときだったからな。婚約者と紹介されても妹のようにしか思えなかったよ。でもあいつは最初から俺を気に入ってくれたみたいで、会うたびにべったりだった。俺も年の離れた妹ができたみたいで可愛かったから構ってたんだが、それがいけなかったんだろうな。後々家を出るつもりだったのに、あいつの気持ちを知っていながら突き放すことができなかった。物心つく前に母親をなくしていて、父親も仕事人間だからなかなか家に帰ってこない。一人っ子で傍についてあげられるやつが1人もいなかったから、ずっと寂しい思いをしていたんだ。俺がいなくなったらあいつが1人になるんじゃないかと思ってた。結局俺は自分の夢のためにあいつを見放したから、中途半端に見捨てたことになるんだよな。あいつも今年で15になる。そろそろ俺のことを忘れて、自分を幸せにしてくれる新しい男を見つけて欲しいんだよ」 グランの話を聞いて、彼がリリアーヌに対して恋愛感情を持っていないことに内心ほっとした。 せっかく自分のことを話してくれたのに、親身になって聞くことができない自分が嫌になる。 「グランはリリアーヌが他に好きな人を見つけて欲しいってこと?」 「そうだな。見込みのない俺よりもあいつを大切にしてくれる男を見つけてほしい。それが無理なら俺が女を作れば諦めるかもしれないが」 「グランは彼女作っちゃダメだよ!」 つい言ってしまった後にはっとした。 なんで私、こんなこと言っちゃったんだろう。 何か言い訳を考えてしどろもどろになっていると、彼は優しく私の頭を撫でてくれた。 「俺が恋人作ると追い出されると思ってるのか? それなら心配しなくていい。俺はシュクルを手放すつもりはないからさ」 気を使われてしまった。 こんなに情けない私だけど、グランは妖精だから私を許してくれるのだろうか。 それでも、やっぱり彼がほしい。 人間になって、彼の隣を歩みたい。 妖精として生まれ変わったのに、また人間に戻りたいって思ってしまった。 どうしてこんな風に思うんだろう。 ううん、いくら前世で恋愛経験がない私でも、この気持ちの正体は知っている。 私、グランのこと好きになっちゃったんだ。 もし私が人間だったら、偽物でも彼の恋人にしてくれるだろうか。 すごくズルい考えなのはわかっているけれど、でも、溢れ出すこの気持ちは抑えられない。 「グラン、もし私が人間になれたら、恋人の役割してもいいかな」 一瞬間が開いた。 妖精の私が言ったから冗談だと思ったのかもしれない。 優しい彼のことだから肯定してくれるかもだけど、もしかしたら何馬鹿なこと言っているんだと笑われるかも。 それだと少し寂しいな。 「そうだな。シュクルが人間だったら、俺の恋人役はお前が一番適任だよ」 だけどグランは否定することなく私を認めてくれた。 やっぱりグランはとてもいい人だ。 「グランは優しいね。約束だよ」 「約束な」 叶うことはない夢だけれど、その言葉を聞いて心にわだかまるもやもやが晴れたような気がした。 彼の胸の上で体温を感じながら、私はいつの間にか眠りについた。 「おい! お前誰だ!」 グランの声がして心地のいい眠りから目が覚めた。 いつもと違う声音に驚き、私はぱっと身体を起こす。 「ど、どうしたの?! まさか不審者??」 「いや不審者はお前だろ! どこから入ってきた? てか何で裸で俺のベッドに潜り込んでんだよ?! そしてシュクルをどこにやったんだ!」 扉の前で椅子を私に向かって構え、怖い顔でグランがこちらを睨み付けている。 辺りをきょろきょろ見ても不信な人は見えない。 もしかして夢見が悪くて寝ぼけているのだろうか。 「グラン、怖い夢でも見たの?」 「いや、悪夢はお前だろ?!」 何を言っているのかさっぱりわからない。 どうしたのだろうと首を傾げたところで、違和感を感じた。 なんだろう。 何となく、周りの景色がいつもより小さく感じる。 私が乗っているベッドはいつもより狭い、いや部屋自体が窮屈になった気がする。 それに伴って部屋に設置されている机や棚も小さい。 そしてグランもすごく小さくなっている。 「あれ? グラン、なんで小さくなっているの?」 「は? 何言ってんだ? ってか、もしかしてお前……」 グランは何かに気がついたように眉間に皺を寄せる。 ふと、視界に銀色の糸が目に入った。 手に取るとそれは糸ではなく、自分の頭から生えている髪だとわかった。 それを辿ってみれば、腰下まで長い。 「あれ?」 視界には色白の女性の身体が見える。 スリムだけれど、胸は大きい。 前世とは違うけれど、久しぶりに胸の重みを感じて思わず掌で持ち上げた。 「重い……」 それは明らかに妖精の自分にはないものだった。 ということはグラン含めて周りのものが小さくなったのではなく、私が大きくなったのだ。 「なんで人間になっているんだろう?」 答えを求めてグランを見てみるけど、彼はあっけに取られてぽかんとしている。 「やっぱりシュクルなのか?」 「うん。よくわかんないけど、人間になったみたい」 妖精って人間になれるものなのだろうか。 グランも驚いているので、彼も妖精が人間になれるって知らなかったみたい。 もしかしたら転生者のチート能力の1つなのだろうか。 チートと言えば何でも解決しそうで恐ろしい。 「とりあえずこれ着ろ」 タンスから取り出した自身のシャツとズボンを私に放り投げる。 妖精から人間になったとはいえ、性別による体格差で彼のシャツはぶかぶかだった。 裾と袖を何度かまくり、手と足を出す。 立ち上がって歩こうとすると、いつも空を飛んで移動しているせいで歩く感覚を忘れている私は足がもつれて思わず倒れ込む。 衝撃に備えて目を瞑ったが、想像していた痛みは襲ってこない。 目を開くと、すぐ目の前に彼の綺麗な顔があった。 私が転びそうになったところを間一髪で助けてくれたようだ。 「ご、ごめんね」 息がかかりそうなほどすぐ目の前にある彼の顔を直視できなくて思わず目を反らす。 「気にするな。それよりも怪我はないか?」 「うん。グランが受け止めてくれたから全然平気」 「そっか、ならよかった」 彼はほっとしたようにやわらかな笑みを私に向けてくれた。 「それにしても、なんで人間になったんだろうな。妖精って人間に変身できるもんなのか?」 「さあ、わからない。無意識でなってしまったから妖精の姿に戻れるかわからないし」 人間になった原因はわからないが、きっかけは多分昨夜私が人間になりたいと思ったからだ。 前世の妖精はフィクションの中の生き物だけれど、動物に姿を変えることができるものもいたからこの人間の姿も妖精の能力の1つかもしれない。 妖精にはどんな能力があるのか、妖精の姿のときに他の妖精に色々聞いておけばよかった。 まさかこんなことになるとは思わなかったので、必要性を感じなくていつもスイーツの話ばかりしていた昨日までの自分が悔やまれる。 人間の姿で聞いて私がシュクルだってわかってくれるだろうか。 もしわかってくれなくて相手にされなかったら、街の図書館で妖精の能力について調べてみてもいいかもしれない。 色々考えを巡らせていると、ぽんぽんと頭を叩かれた。 「そんなに思い悩むなよ。人間の姿でも俺がいるから安心しろ。今まで通りシュクルはここにいてくれるだけでいいんだからよ」 やっぱりグランはすごく優しい。 私が人間になったってことすぐに信じてくれたし、今も私を不安にしないためにあれこれ聞かずに今まで通りでいいと言ってくれた。 感動して胸がじーんとする。 「でも私、もう砂糖出せないかも」 彼は私が砂糖の妖精だからこのお店に置いてくれていたのだ。 もし妖精に戻れなかったら、ただの居候だ。 彼の役に立てないと思うと、目頭が熱くなってくる。 「まあ、最初はお前が砂糖の妖精だから店に置いておいたんだけどな」 やっぱりそうだ。 昨夜は人間になりたいって思っていたのに、いざなってみると砂糖の妖精じゃなくなった私は彼にとって何の価値もない。 最初は同情でこのお店に置いてくれても、妖精に戻れなかったらいらないと思って私をここから追い出すかもしれない。 「でも、シュクルと一緒にいるのはすごく楽しいんだ。こう見えて人見知りだからさ、今まで身近に誰かを置こうなんて思わなかった。だから砂糖を出せなくなっても関係ない。お前がお前だから俺は一緒にいて欲しいんだ。シュクルは俺と一緒にいるのは嫌か?」 「そ、そんなことないよ。私も一緒にいたい」 「じゃあ決まりだな」 彼の笑顔は私の心を安心させてくれる。 ほっと胸をなでおろしていると、彼はキュッと私を抱き寄せた。 「グラン?」 「それと、昨日約束したよな。シュクルが人間になったら俺の恋人役になるって。ってことで、お前は今から俺の恋人な」 ニヤッと肉食動物のような笑みを向けられ、戸惑いながらもこくこくと頷いた。 ふいに目頭が熱くなり、抑えきれない感情が溢れ出すかのように頬に涙が流れ落ちる。 こんなの見られたら心配させるとわかっているんだけど、それでも止めることができなくて次々と溢れ出す。 「お、おい、急にどうしたんだよ?! そんなに俺の恋人になるのが嫌だったのか?」 首を振って彼の戸惑いを慌てて否定する。 「ち、違うの。ただ、私。こんなのすごくズルいってわかってるのに、人間になれて、すごく嬉しくて。グランにもっと近づきたいって思ってたけど、妖精のままじゃ無理だってわかってたから、だから」 ぎゅっと強い力で抱き止められて胸元に頭を埋めると、彼の鼓動が直接肌を震わせる。 昨夜感じたのよりも早い心拍音。 音を通じて彼の気持ちが流れ込んでくるようだ。 「期待して、いいんだな」 「期待って――」 どういうことか聞こうと顔を上げると、顎を掴まれ唇を塞がれた。 何が起こったのか頭がついていけず真っ白になる。 呆然としていると、そっと離れた彼の顔は耳までイチゴのように真っ赤になっていた。 予想していなかったグランの行動に思考が追いつかない。 けどこのまま黙っているのもいたたまれなくて何か言おうとしたが、何も言葉が出ず口だけがぱくぱくと動いた。 「シュクルが妖精だったから遠慮してたんだよ。お前、自分が人間じゃないからってキスしたり一緒に風呂に入ったり、距離感おかしいんだよな。こっちはずっと理性抑えるのに必死だっての。でも、さっきの言葉、お前も俺と同じ考えだったんだよな」 まっすぐ向けられる熱の籠った視線。 太い男の指が私の銀の髪を通り抜け、後頭部をしっかりと抑える。 綺麗な顔がすぐ目の前まで近づき、息が止まる。 彼の熱い吐息が唇をかすめる。 熱で潤んだ翠玉の瞳はどこまでも深くて、全ての感情を飲み込んでしまうかに思えた。 「嫌だったら抵抗しろよ。本気で突き飛ばすならやめるから」 低くて甘い声が耳朶を震わせ、ゾクリと背筋に痺れを感じる。 唇が優しく重ね合わさり、背中に回された腕に力が込められる。 重ねるだけの、私の反応を探るようなキス。 名残惜しそうに離れた唇は額に落ち、彼の体温が離れていく。 「シュクル、好きだ。お前が望んで人間になったんだ。覚悟しろよ。まあ、妖精に戻っても俺の気持ちは変わらないがな」 「わ、私も、ずっと好きだったよ。これからも、ずっと一緒に、傍にいるよ!」 この世界に妖精として生まれてそれだけで幸せだったのに、彼と両想いになれた。 大好きなスイーツを永遠に食べられるよりも、大好きなグランが私と同じ気持ちだとわかった今の方が一番心が満たされる。 もしこれから甘いものが食べられなくなったとしても、人間のままでいたいと思えた。 グラン、これからずっとずっと一緒だよ。
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