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1.パン朝食 2
今ここにあるパンは全部焼こう。
音寧くんは目を輝かせて言った。深夜のコンビニレジのアルバイトから帰ってきて疲れているはずなのに、たっぷり10時間寝てしまった俺よりもすこぶる元気なのが不思議だった。やっぱり筋肉だろうか。体育学部の彼は小柄な体の下にバネをたくし込んでいるように筋骨隆々だった。
「全部…食べ切れますか?」
「食べきれるか、じゃない。食べきるんだよ」
机の上のパンが詰まったビニール袋を見下ろし、目がなくなるほどニッコリと笑うと元気よく拳を天に突き上げた。そこで彼が徹夜明けのテンションでいることに気が付き、眉をひそめる。この筋肉の塊が暴走しても、止められる気がしない。
「音寧くん、今日授業は?」
「あるけどないね」
間髪入れずにそう答えると、彼はその場でTシャツを脱ぎ捨てた。ますます険しい顔になる俺にいたずらっぽく笑いかけると、シャワー浴びてくる、と楽しそうに言った。
「そっちの部屋で先に焼いててよ。俺あとから合流するから」
そう言い終わる頃にはもう生まれたままの姿になりかけていて、慌てて顔をそむける。体中に振りかけられたシトラスの香りが汗の匂いと混じって、なぜか色っぽかった。
全裸で2階へ続く階段を駆け上がっていく筋肉マンを見送って、小さくため息をついた。キッチンの袋からひとつずつパンを取り出す。困ったようにしてみせる態度とは裏腹に、わくわくしている自分がいた。ひとりっこだから、こういうの新鮮だ。
音寧くんは大学の1年先輩でこの家を紹介してくれた人だった。俺が1年のときに下級生に混じって語学の授業をとっていた。単位を落として下級生と同じクラスにいる人ってもっと卑屈でコソコソしてるイメージがあったけど、音寧くんはあきれるほど堂々としていた。バイトが忙しくて授業どころじゃないんだよ、とケロッと言う音寧くんに最初は呆れた。でも自分の中の芯がすっきり通っているところが高校を出たばっかりの幼い俺にはしびれて、つるんでいるうちに俺も単位を落としてしまった。お互い進級した今、2人で仲良く1年生に混じって授業を受けている。
この家を紹介してくれたのは今年に入ってからだ。単位が絶望的になった1月の定期考査の帰り道、唐突に旭ちゃん引っ越ししない?と切り出した。寒い日で、木枯らしのキャンパスを2人でとぼとぼ歩いていたことをよく覚えている。俺が片道2時間かけて通学していることを全く聞いていないふりして聞いていたんだな、と思ったことも。
そのあと興味を示した俺を連れて、みかけは何の変哲もない、でも中身は風変わりなこの家を見せて、それから―――
風変わりな家主に、会わせてくれた。
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