第五話『投函』

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「こんにちわ!暑いですね」  突然話しかけられ、全身が強張る。一瞬で色々な思考が脳内を駆け巡った。無視して走り去ってしまいたい。しかし、それでは明らかに不審だ。誰かの印象に残ってはならない以上、無視はできない。だが声が出ない。とりあえず恐るおそる声がした方向に振り向いた。  そこには見覚えのない中年男性がいた。身長一六五センチの相馬よりやや小柄で細身だが、肌が黒々としていて健康的に見える。年齢は六十代だろうか。麦わら帽子をかぶり、作業着のようなものを着ていた。左胸には『東堂』と書かれた名札がぶら下がっている。管理人か。 「…こんにちわ。」  相馬は辛うじて挨拶だけ返す。東堂の見た目からするに、この手の人間は会話を楽しむタイプだろう。ここで足止めを食うのはまずい。  相馬はそのまま正面を向き、足早に駅へと向かう道を進んだ。呼び止められることはなかった。  無事自宅へと戻ると、ソファに身を投げた。大したことはしていないというのに、ひったくりをした時よりも疲れていた。  それにしても、管理人に話しかけられるなんて誤算だった。そこから足がつかないかが心配だ。だが、管理人は普段から誰にでも話しかけているのだろう。見慣れない人物だとしても、ただ歩いていただけなのだから、大して気に留めることはないのではないか。  相馬はそう願うしかなかった。
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