第四話『準備』

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第四話『準備』

 一夜明け、目が覚めるとまだ朝の七時を少しまわったところだった。ひったくってしまった通帳をどうすべきか悶々としてるうちにソファで寝てしまったみたいだ。カーテンの隙間からは朝日が差し込んでいるが、部屋の中は室内灯が煌々と光を放っていて眩しい。  キンキンに効いた冷房のせいでひどく寒い。おもむろにテーブルの上のペットボトルを手にとると、残り少ない緑茶を一気に飲み干した。緑茶は渋いほど良いというのが相馬の持論だった。良いというのは体にということでなく、単なる味の好みの話だ。緑茶を買うときはできる限り『濃い』と書かれているものを選ぶようにしている。  そのせいか、数年前に一度尿管結石になった。腰に鈍い痛みを感じたと思ったら、堪えようのない吐き気に襲われて散々だった。まるで腰の曲がった老人のような姿勢で這うようにして病院へ行き、点滴をしてもらった途端に痛みが一切なくなった時の安堵感といったらなかった。数日後には尿に混じって一ミリにも満たない小石のようなものが出てきたので、汚いとは思いつつもまじまじと観察してしまったのを覚えている。  相馬は通帳を返す準備を始めた。まずは念入りに指紋などの痕跡を取り除く作業だ。返却されたらまず真っ先に残高を確認したのちに、警察へ通報し鑑識による鑑定が行われることになるはずだ。そのとき万が一でも特定される可能性を残すわけにはいかない。  ひったくりをする際にはしっかりと軍手をして証拠が残らないようにと普段から注意はしていた。今回に関しても今に至るまで素手で通帳には触っていなかった。  それでも念入りに表面から全てのページに至るまで拭き上げた。それこそ神経質なほどに何度も擦る。ある程度満足した頃、時計に目をやると一時間近く経過していた。  しかし冷静に考えると、わざわざ返却する必要があるのか疑問に思えてきた。ここまで徹底的に痕跡を排除したのだから、後は適当に捨ててしまえばいいのではないか。わざわざリスクを冒してまで本当に返却すべきなのか。報復を恐れるあまり判断を誤っているかもしれない。そうした考えが脳裏をよぎる。  だが、相馬には捨てるという選択はできなかった。何故と聞かれたら答えに困るが、本能的に捨てるという選択は悪手だと感じていた。  最善手は返却すること、それしかない。
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