独リ書ク恋慕

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 気が付いたらとんでもないところに来てしまっていた。  電車を乗り継ぐこと三時間。田舎の沿線を降りると、そこからはバスに乗り換えて田舎の果てまで行き、さらにそこから一日二本しか出ていない別のバスで山道を登っていく。  広大な自然に囲まれた空気の美味しい山奥…と言えば聞こえはいいが、美味しい空気以外に何もない場所にその古い屋敷は建っていた。  一体何時代の物かもわからない古風な建物で、門から屋敷までがまた遠い。  こんなところに来ると、つい今朝あの煙たい都会のアパートの一室で目覚めたのが嘘のように感じる。  解放的な造りの家は冷房も効いていないはずなのに真夏とは思えないほど涼しくて時がゆったりと流れ、慌ただしい都会とは別の次元に存在する異空間のようにさえ感じられた。 「で?」  硬い声が広い畳の空間に響く。庭の鹿威しが気持ちのいい音を立てた。  景時の兄は歳がかなり離れているものの彼に非常に良く似ていて、彼をそのまま大人にしたような顔立ちをしている。  正座している和人の隣で、同じく正座した景時がいつもの調子のいい笑顔を浮かべながら続けた。 「いやぁ~、高校いかせてもらったおかげで部活動も楽しいし、学校でめでたく恋人もできたし、そろそろ感謝の意味も込めて兄貴に紹介しよっかな~…なんて」  景時の向かいに座った和服の男はしばらく何かに耐えるように俯いていたが、結局耐えられなかったのかすぐにブチ切れた。
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