アズマさん

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 だが僕の記憶はこれで終わりではない。僕は次の日、再びアズマさんの家を訪れたのだ。  ところが、何やら様子がおかしい。最初に来たときと同じように雨戸が全て閉められている。その時点でなんとなく嫌な予感がした。 「お姉さん!」  急いで近づき雨戸を叩くが、アズマさんが出てくることはなかった。戸を開けようとしても、最初とは違い全く動かない。やがて手が滑り、僕は庭に尻もちをついた。  家から少し離れて屋根裏の窓を見上げる。そこもやはり雨戸が閉まって――いない。雨戸どころか、ガラスすらそこには存在しなかった。ただぽっかりと空いた穴と、その向こうには闇があるだけだった。  家の周囲をぐるりと回っても、入れそうな場所はなかった。正面の扉は施錠され、裏にあった勝手口の扉には取っ手すらない。  いったいアズマさんはどこへ消えてしまったのか。万策尽きて家を後にしようとして、ふと正面玄関にかかった表札に気づいた。かすれていて非常に読みづらかったが、やがて書いてある字のアタリがついた。 『黒岩』  全然アズマではない。祖母がアズマさんと言ったから苗字だと勝手に思っていたが、実は違ったのか。では名前なのか。彼女がアズマさんと呼ばれるのを嫌がったことを思い出す。確実に彼女を指すはずだが、名前で呼ばれるのをそんなに嫌がるだろうか。  尽きない疑念が溢れ過ぎて、頭の悪い小学生でしかなかった僕の頭はとうとう爆発した。書きかけの日記の「アズマさん」の箇所を塗り潰して、そのページを破いたのも、恐らくこの日だ。 ◆  それからだいぶ後、僕が大学生になってからの話になるが、この謎は唐突に解けることになった。  医学関連の単語をちょっとした興味で漁っていたとき、『アズマ』という項目を発見した。考えるより先に反射的にクリックする。そこにパズルのピースが落ちていた。  アズマ、asthma、日本語で言うと喘息。あの激しい咳を思い出す。ほとんどの場合は治療が可能だが、重症になると現在であっても死に至る可能性がないわけではない病。昔は移るなどと言われていたこともあったらしい。祖母の言っていた「アズマさん」とは、喘息患者のことだったのだろうか。それが移ると思っていて、祖母は僕をあの家に近づけさせなかったのだろうか。  そうだとしても、僕はいったい何を見ていたのだろうか。そして彼女はいったいどうなったのだろうか。想いを馳せて目を閉じれば、今までどうして忘れていたのか、まぶたの裏にあのひまわりのような笑顔が鮮明に浮かぶ。    翌日、僕は家を発った。尻切れトンボだったひと夏の思い出に、決着をつけるために。  そのときの話は、また今度することにしよう。
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