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何の証明にもならないが、俺はここの年間パスポートを出してみた。顔写真、期限、イルカのイラストと「片瀬順也」という名前があるだけのカードに、幸い興味を持ってくれたようだ。
その彼の手には――知恵の輪?
青年は「わざわざありがとうございます」と言うと、持っていた金属の固まりをショルダーバッグにしまった。
「特別好きって訳ではないですが、水族館、いいですよね。非日常的で」
淡々とした、やや低音の物静かな声。言葉数の多さと矛盾するようなそれに、相槌が遅れた。
彼は大水槽に視線を戻す。サングラスのフレームの先にある凜とした瞳が、前方を漠然と眺めているのが横からだと分かった。照明のせいだけではない、表情に漂うほの暗い影。
もしかすると、生き生きと泳ぐ魚も代わる代わるやって来る人も、彼の目には映っていないのではないか――。
「ここにいると、どこか遠くに飛んでいきたくなるような……」
無感動に言って、青年は俺に顔を向けた。
「片瀬さん。連れて行ってくれませんか?」
サングラスの奥に透けているはっきりとしたアーモンド型の目に、俺は束の間動けなかった。「何てね」と微かに表情を和らげる彼に溜め息を吐く。
「君さ……それ、ゲイ相手に言うことかな?」
「え?」
「それに、遠くに行きたいって言うけど、むしろ半分ここにいない感じがするよ」
色々と予想外の返答だったのだろう、青年が目を見開いたのがおかしくて俺は小さく笑った。
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