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「そうだ、宿題は終わった?」
気まずさを誤魔化すように彼女が話題をふる。
「まだ。あとは日記だけかな」
熱がひかない顔を見せないまま、僕も話をあわせる。
「日記書いたのなんて、小学生以来。宿題じゃなきゃやらないよね」
「たしかに。もしかして全部終わったの?」
「うん」
「今日の分は」
「想像で書いた」
おそらく自慢げな顔をしているのだろう。想像して口元が緩む。
片足で空を蹴り上げて、下駄を弄ぶ彼女。ひらひらと揺れる浴衣の裾で小さな花が踊る。
「でもちゃんとそのとおりになっているよ」
先ほどにも増して、誇らしそうな声色で彼女は言う。
「浴衣着て、かき氷食べるって書いたんだもの」
そう声をはずませなが後ろ手に組んでいた手が隠れたのは、彼女がこちらを向いたからだろう。
無垢なその顔が見たい。本当は今すぐにでも伝えてしまいたい。けれど顔を真っ赤にして口ごもるかっこ悪い姿を晒したくはなくて、心の準備が整うのをいつまでも待つ僕は臆病者だ。
「そう言えば、もう一個書いたの」
日記にね、と続ける声が近くなる。
「かき氷を食べたあと」
屋上の背景が消えるほど、浴衣の生地が視界を埋め尽くす。無意識にゴクリと唾を飲み込んで、僕は次の言葉に備えた。
「舌が真っ青になった、って」
拍子抜けして顔を上げると、彼女はチロリと少しだけ舌を出して「どう?」と尋ねてきた。
「青い、ね」
そう僕が答えると彼女は満足げに微笑む。
「よかった。最初日記に書いていたことも忘れてたの。でも海の話で思い出して」
書き直さなきゃいけなくなるでしょ?と、はにかむ。
その無邪気さは罪だ。そうやっていつも、準備ができていない心を暴走させてしまう。明かりが足りないこの場所でも、はっきりと表情が見てとれるほどの距離で。そんなにも無防備に。
「ずっと、言いたかったことが」
切り出したと同時に、彼女の顔が赤く染まった。けれどそれは、あの音のせいだ。赤く、青く、次々と彼女を染め上げる、あの光のせいだ。
「はじまったね」
何か言いかけようとしている彼女に「花火、綺麗だね」とかぶせて制する僕はまた同じ過ちを繰り返している。まただ。また言えなかった。この気持ちを。
帰宅すると、倒れ込むように体をベッドへ沈ませた。脳内を後悔の念が襲う。
最初は悩みながらも楽しい。しかし最後は結局伝えられなくて苦しい。そうしてそれを繰り返す。このまま諦めて眠ってしまおうかと何度も考えた。それでも諦めきれなくて、今だってまた繰り返そうとしている。
ベッドから起き上がると、机に置かれたノートを開いた。書いたページをめくり、白いページまでたどりつくと、今日あったできごとを綴る。八月三十八日と日付けを添えて。
ふたたびベッドに横になると、僕は静かに目を閉じた。新しい今日は、今日こそは、伝えられるだろうか。変わらない僕は、変わりゆく彼女に、この想いを。
完
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