第1章

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 もうすぐと言ったものの、まだ時間があり、手持ち花火で待ち時間をつぶす事にした。"偶然"落ちていたバケツに水を汲む。蝋燭に火をつけ、花火を点火した。花火の光は、俺たちのいる空間を幻想の世界へと変えていく。  暫く手持ち花火を楽しんでも、まだ打ち上げ花火は始まらなかった。  流石に遊び疲れて、俺とレイは椅子に腰掛け、空を見上げる。雲で覆われていて月も星もまるで見えはしない。 「ねえ、初めて会った日のこと覚えてる?」 「——おっぼえってなっいなあ」 「それ絶対覚えてるよね! ......君と初めて会った時、僕は気づいたらこの場所にいて、君は目の前で泣いていた。理由聞いても教えてくれないし。今思えば教えてくれなかったのも納得だけど」  レイは立ち上がり、くるっと回って俺の方を笑いながら見つめてくる。 「とにかく慰めようと必死で、僕はこまを回して、君にも遊んでもらおうと思ったら、君は地味って言ってさ」 「だって地味じゃん! でも今は地味なことが好きに......」 「さらっと型抜きが地味だと認めたよ、この人。......まあ、色々あって、毎年この場所で会う約束をして。他にも、僕は君に沢山のお願い、約束をした。1つは自分の気持ちを誤魔化さない事。もう1つは、この祭りの日は全力で楽しむ事。そして最後。友達とかが出来て、この日以外も楽めるようになって、再開する時に君が本当の意味で笑ってくれている事」  レイは本当に嬉しそうな表情で笑顔を浮かべる。 「ねえ、気付いてた? 君と今日会った時、君は笑ってた。それに、去年の別れ際もまた来年って、悲しい気持ちなんてなくて、今年を想って楽しそうに笑ってたの、気付いてた?」  高校に入って、拓也と咲の2人に出会ったから。俺は普段の生活も楽しくなって、孤独じゃなくなって、毎日が楽しくなっていった。 「君は約束を守ってくれたんだ。約束を果たしてくれたんだ」 「何が言いたいんだよ、レイ」  レイに引き寄せられるように、俺は椅子から腰を上げる。  その時、バケツの水とは違う別の水に匂いが嗅覚を刺激し始めた。  レイは笑顔を絶やして言葉を紡ぐ。 「君と会うの、来年で最期にしようと思って。君は上京するんでしょ? いい機会かなって思ったんだ」 「......けんなよ。ふざけんなよ! なんで急に!」 「ごめん。怒ってるよね......それで良いんだよ、君は」  レイは悲しそうな表情で、俺の目を見つめ続けた。泣くのを必死に我慢している、そんな顔だった。 「僕は"幽霊"なんだよ?」 「そう、だったな」 「幽霊は完璧じゃない。いつか必ず消えてしまう。それが生まれ変わりなのか、本当に消えてしまうのかは分からないけどね。消える理由は、忘れ去られたとか、未練が無くなったとか、目的を達成したとか、そもそも幽霊でいられる時間に限界があるとか」   「僕は君を笑顔にするために、あの日、やってきたんだと思う。そして、君が笑顔で生活しているところを見届ける事。だから、もう目的は達成しちゃってて。君にとっても既に僕は要らない存在なんだ」  レイのその言葉に無性に腹が立ち、気づいた時には、右手がレイの顔をはたこうとしていた。  自分の意思でその手を制止するには時間が足らず、右手はレイの顔に直撃することは避けられない......筈だった。  右手はレイの顔に当たる事なく、右から左へとすり抜けていく。 「なんで、叩けないんだ?」 「そういうことだよ。......そういうことなんだよ」  表ではどれだけ必要だと思っても、心の奥では既にレイは必要としなくなった。だから、触れることも出来なくなったと言うことなんだろう。  レイは空を見上げながら話を続ける。 「今日ね、君の名前、思い出せなかったんだ。思い出したくても思い出せなくて。誤魔化し続けてた。流石に気付いてたでしょ? 僕もそれで、君が僕を必要としなくなった事に気が付いた。君にはちゃんと学校に親友がいる。笑っていられる。怒ることも泣くことも......できる」 「でも、俺はまだお前と祭りを——」 「良い加減分かってよ! 僕の気持ちにも気付いてよ! どうせ、再来年には君と——!」  レイは口を噤む。意図的に何かを隠すように。 「気づいて、くれないの? 本当に君は馬鹿だよ。自己中だよ。横暴だよ。ただの我儘だよ!」 「他人の気持ちなんて分かるわけないだろ」  月と星は雲を退ける事に失敗し、冪冪たる雲が覆う空から、ゆっくりと雨を降らせ始める。雨はすぐに激しさを増していく。  俺は俯いたまま、レイにだけ届くように......もしかしたら、レイにも届かないように小さな声で偽りを告げる。 「もう良いよ。もう良い......。お前のことなんか嫌いだ。だから、さっさと"消えれば良い"。レイは目的を達成できた。俺はレイなんて必要ない。だからさっさと消えてしまえば——!」  レイはさっきの俺と同じように、俺の頬に向けて、右手を思い切り振り払った。その手はどうせ俺には当たらない。そう思っていた。レイもおそらくそう思っていただろう。  しかしその手は、顔をすり抜けることはなく、左頬に強い衝撃を与えた。その手からは、痛み以外にも、苦しみ、哀しみ、そして怒りが滝みたいに流れ込んでくる。 「っ」  レイは自分の行動に驚いた表情を見せた。自分の右手を眺めながら、俺の顔に当たった確かな感触を、握ったり開いたりして確認する。確認を終えた後、冬の寒さにあてられて凍ってしまった池のように、レイは靉靆とした表情で笑った。 「......本当に馬鹿だね、君は」  雨音が強まる。それは祭りの中止を告げる音。レイはその雨音に同化し消えゆくように、目の前から忽然と姿を消した。  レイの足元には、手持ち花火の燃えかすだけが、僅かな温かさを残して、冷たくなることを受け入れて落ちていた。  今、自分の顔はどんな表情を浮かべているのだろうか。目は死んでいないだろうか。鏡もなければ、同じ姿をしたドッペルゲンガーもいやしない。自分の表情を確認する術は今此処にない。  ただ1つだけ、自分でも理解できることがあるとするならば、それは、灰色の空から降り落ちる雨とは違う別の雨を、自分の真っ黒な瞳から地面に零れ落としているということだった。  どしゃ降りの雨は、俺の涙を隠すように強く地面に打ち付ける。後悔、悲哀、自責、ありとあらゆる負の感情を、すべて隠しながら地面へと落ちていく。  俺は最悪な人間だ。クズだ、ろくでなしだ、そう言われてもおかしくないほどに。きっと神にも嫌われた——。  ......そうか。これは俺の涙を隠そうしているわけじゃない。寧ろ泣けと嘲笑しているんだ。もっと泣け、もっと苦しめ、もっと自分を責めろ、もっと、もっと、もっと——。  渇いた笑みが零れ落ちる。止むことを忘れた大雨と共に。
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